若き日の山14 奥又白池から前穂高岳2025年11月20日 22:45

確か1979年だったと思いますが、10月に相棒と2人で奥又白池に行き、翌日、A沢から前穂高岳に登りました。前穂北尾根の岩壁が目の前に迫る、一般登山道ではないコースですが、素晴らしい景観でした。
上高地徳沢から新村橋を渡り、奥又白沢の登山道を登ります。涸沢へ向かうパノラマコースを右に見て中畠新道へ進みます。道とわかる結構急な坂を登って奥又白池に着きました。登山メモを取っていなかったので所要時間は覚えていませんが、休憩も入れて分岐点から2時間くらいかと思います。他に登山者はいませんでした。池畔にテントを張った頃には確かみぞれが降ってきた記憶があります。おかげで、翌朝少し新雪をまとったすばらしい北尾根を見ることができました。もちろん、足元にも多少の雪が付いています。
下の写真は、奥又白池畔からの前穂高岳から北尾根4峰あたりまでの写真です。私のカメラにはモノクロフィルムが入っていたと思うので、相棒が撮影したものと思われます。

奥又白池から前穂高岳と北尾根

モノクロ写真がこちらです。前穂から北尾根6峰までが写っています。

奥又白池からの前穂北尾根

下の写真、中央やや右ピークが前穂高岳だと思います。その右に北尾根2峰、3峰があります。

奥又白池からの明神岳・A沢方面

前穂北尾根4峰です。正面壁がロッククライミングのルートで有名なようです。

前穂北尾根4峰

前穂北尾根5峰と奥又白池です。池の写っている写真はこれしか残っていませんでした。

奥又白池と5峰

目を東に移すと、日の出と遠くに八ヶ岳が見えました(実際の撮影時刻は、上の北尾根の写真よりも前だと思います)。

奥又白の夜明け

このあと、少し雪の付いた踏跡を登り、A沢に出てスリルを味わいながら稜線にたどり着きました。そこから、前穂高岳頂上まで登り、西穂高岳方面を撮影したのが下の写真です。

前穂高岳からの西穂稜線

下の写真は涸沢岳方面で、左下のコルに穂高岳山荘が見えます。

前穂高岳からの涸沢岳

そして北の方に目を向けると、北穂高岳の右奥に槍ヶ岳が少し顔を出していました。

前穂高岳からの北穂高岳と槍ヶ岳

この後、岳沢を下り、上高地に戻りました。
ともかく、天候には恵まれたと言える山行となりました。

中年の山2(つづき) 上高地2025年10月14日 11:52

焼岳に登った翌日、紅葉真っ只中の日曜日の上高地に無謀にも行ってしまいました。朝、宿を出た後、当時はまだ安房トンネルができていなかったので、昔ながらの国道158号線の安房峠を越えて中の湯へ下りていきます。上高地へはマイカーは行けないので、沢渡の駐車場に止めてそこからバスで行くことになります。中の湯から沢渡に来る道路は特に中の湯方向が混んでいたので嫌な予感がしていました。駐車場に駐車したらすでにバスが来ていたので列に並びましたが、まさに乗る直前で満員になり、次のバスに乗ることになってしまいました。運にも見放されます。バスダイヤはもはやないようなものでしたが、いつまでたってもバスが来ません。ようやく来て乗り込みましたが、渋滞で思うように進まず、上高地に到着したのは午後1時を回っていたと思います。
写真を見ると、まず大正池あたりから歩いたようです。河童橋に比べて人はまばらです。まず、大正池に立つ枯れ木とともに穂高連峰の撮影です。秋晴れの澄んだ空気です。観光地になるに相応しい景観です(フジクロームベルビア使用)。

大正池からの穂高連峰

下は南の方向になる昨日登った焼岳の写真です。逆光気味なのと、娘を入れた記念写真だったので景色は露出オーバーの写真でした。娘はデジタル化後、AIとやらで処理して消したので、そのあたり(真ん中より右側)の池面が若干不自然になっています。

大正池と焼岳

どこのポイントからか覚えがありませんが、梓川(またはその支流)と六百山から霞沢岳への稜線の写真です。六百山は穂高のいい展望台だろうな、と思いながら、難コースと言うこともあって、結局登っていません。

梓川と六百山

梓川の右岸に立ち並ぶホテルとその背景の紅葉、そして西穂高岳の一部が見えている写真です。

梓川右岸の紅葉と西穂高岳方面


人の少なそうなところを歩いて、景色を堪能するまでは良かったのですが、夕方になってバスターミナルに戻ってみると現実に引き戻されました。すでに長い長い列ができています。とても並ぶ気にならなかったので、腹ごしらえをして時間をつぶそうと思ったのが悪い選択で、戻っても長い列は何も変わりません、バスに並ぶか、列は少ないが1回に掃ける人数も少ないタクシーに並ぶか、ここも迷いました。結局、夜8時くらいにバスに乗れて、沢渡にもどり、そこから運転して、日を跨いでの帰宅となりました。当時はまだ若かったので体力的には問題はなかったようです。
ともかく、いい景色に恵まれた登山と観光の大きな代償を払った、自分の汚点として残る旅行でした。

中年の山2 焼岳2025年10月12日 22:12

先週の土曜日(10/4)、NHKのブラタモリは上高地の誕生についての放送でした。その主役である焼岳には、32年前の秋に家族3人で登りました。娘が小学校2年の時です。新穂高側の登山口からの登山です。
中尾峠に登った後、笠ヶ岳方面を撮影したのが下の写真です。雄大です。地層もよくわかります。この笠ヶ岳には次の年に家族で登ることになります。なお、このとき用いたフィルムは、すでに販売が開始されていたフジクロームベルビア(ISO50)です。

登山道から笠ヶ岳

下の写真は、もう少し登ってから北の方向を撮影したものです。近景には展望台となっているピークの向こう側に青い屋根の焼岳小屋が見えます。遠景は、西穂から奥穂の稜線と、その左側に槍ヶ岳が望めます。

登山道から中尾峠、槍・穂高

娘はもうしっかりとした足取りで登っていきます。そして、焼岳の頂上(前年に北峰への入山が解禁された)に到着しました。頂上からの撮影が下の写真です。奥穂から前穂の吊り尾根と岳沢がすっきりと見えます。

焼岳山頂からの槍穂高

南側の乗鞍岳方面を望む写真です。いろんな山肌があり、その変化が面白いです。

焼岳山頂からの乗鞍岳遠望

下の2枚の写真はカラーネガ(富士フイルムのリアラ)で撮影したプリントをデジタル化したものです。1枚目が中尾峠付近からの六百山から霞沢岳の稜線です。2枚目は頂上付近から撮影した上高地方面の写真です。焼岳の噴火が元々あった渓谷(梓川の谷)を埋めたということが理解できますね。

中尾峠付近からの六百山・霞沢岳

焼岳山頂からの上高地

この日は下山し、奥飛騨温泉あたりに宿泊したと思います。次の日、観光客で混んでいる上高地に足を踏み入れることになります。

若き日の山13(その2) 赤石岳2025年10月05日 11:32

赤石小屋は結構混んでいましたが、千枚小屋は空いていました。他に1パーティが居ただけだったと思います。夜明け前、早めに食事を済ませ、千枚岳を目指して霜柱の立つ登山道を登り返しましたが、頂上に着く前に日の出になりました。下の写真は富士山の少し左側からの日の出です。

千枚岳の夜明け

千枚岳からの赤石岳・小赤石岳東面のモルゲンロートです。雲一つなく、天候に恵まれました。悪沢岳あるいは千枚岳からの赤石稜線および東面の風景の切り取りは、学生時代に白旗史朗の写真を見て感銘を受けました。機材やカメラ技術が違っても、その場所に行けばそれなりに撮れるような気になってしまいます。

朝の南アルプス南部

大聖寺平も含めてアップして切り取った画角の写真です。

朝の赤石岳東面1

赤石岳・小赤石岳およびその東面のみ切り取った画角の撮影です。もう少し早い時間に撮影できれば言うことなしですが、ちょっと根性が足りませんでした。

朝の赤石岳東面2

千枚岳からの下りで、少し日が高くなってからの撮影です。紅葉・黄葉がきれいでした。

紅葉と赤石岳

このあと、椹島までの長い長い下りをバスに間に合うように歩きました。椹島に着く前に、足を痛めたのでしょうか、ちょっと片足を引きずって歩く若い方を見かけました。結局、その方を静岡駅まで送ることになり、畑薙第一ダムのバス停で降りた後、駐車場に止めておいた車で山岳道路を下り、静岡駅に寄ってから帰宅しました。天気も良く、写真も撮れたので満足いく秋の山行でした。

若き日の山13 東尾根から赤石岳2025年09月27日 17:35

赤石岳に東尾根から登ったのは、赤石岳の頂上を最初に踏んでから7年後でした。9月の下旬、紅葉のシーズンに車で畑薙第一ダムのゲート前まで行き、そこから東海フォレストのバスに乗って椹島まで行きます。このときは家内と2人の山行です。朝、ゲート前駐車場に着いてバスが来たのですが、満員で、車掌から「すぐ後にもう一台来るから」と言われて待っていると確かに来ました。しかし、100mほど手前で止まったまま、なかなかこちらに来ません。バスまで歩いて行くと、なんとタイヤがパンクしたとのことです。パンクを修理(タイヤ交換?)したバスに乗ったのか、別のバスが来たのかは記憶にありませんが、かなりの時間待ったことだけは確かです。お昼少し前に椹島に到着しました。腹ごしらえをして、歩き始めたのは当然昼を過ぎています。赤石小屋まで標高差1400mくらい、一般コースタイム5時間の行程です。何とか4時間ほどで小屋に着き、すでに食事を始めている先行の方々の間のスペースを見つけて場所を確保できました。なお、小屋は営業していましたが素泊まりのみでした。
翌朝、モルゲンロートと言うには少し遅い時間の小屋付近からの撮影が下の写真です。フィルムはフジクロームのISO50のもの(RFPと呼んでたかな)です。まだベルビアが出る前です。この頃のリバーサルは褪色も少なく、きれいに保存されていました。デジタル化も苦労しません。

赤石小屋から朝の赤石岳

小屋を出発して30分ちょっとで富士見平に着きます。東尾根の上部、小赤石から赤石岳への稜線および東斜面のカールがきれいに見えます(下の写真)。いい天気です。

八合目富士見平から赤石岳稜線

北の方を見ると、荒川三山がすっきりと望めます。よく見ると右の悪沢岳の頂上付近は少し雪化粧しているようです(下の写真)。

富士見平付近から荒川三山

下の写真は小赤石と赤石岳の間の稜線に出てこれから登る赤石岳を見上げたところです。全体に雲がかかってきました。

赤石岳への登り

そして赤石岳の頂上に着きました。登ってきた赤石東尾根と小赤石岳を振り返ります。荒川三山は雲に隠れてきました。

赤石岳から小赤石岳・東尾根

赤石岳周辺には、下の写真のように「石剣」が多く立ち並んでいました。赤石岳も信仰の山なんですね。

赤石岳山頂付近の石剣群

赤石岳を堪能した後、荒川三山方面に向かいます。紅葉した荒川のカールを横切って、草紅葉やライチョウを楽しみながら、荒川中岳に登りました。そして、前岳はスルーして悪沢岳に着きました。この間、時々ガスが湧いていたこともあり、記念写真用のコンパクトカメラの撮影が主で、リバーサルの撮影はほとんどなかったようです。デジカメと違ってフィルム代がかかるので、とりあえず撮っておこうができません。下の写真は、悪沢岳を過ぎて、丸山あたりから撮影した万之助カールだと思います。悪沢岳の北東斜面に広がる大きなカールです。降りてみる元気はありませんでした。

万之助カール

この日は千枚小屋に宿泊しました。次の日の写真、「夜明けの千枚岳からの赤石岳」は続編で紹介します。

若き日の山12 荒川三山・赤石岳2025年09月12日 21:37

6月に最初に塩見岳に登った時、行こうと決めていた赤石岳に向かったのは10月後半でした。コースは、塩見岳のベースとなった三伏峠から荒川三山に南下し、そこから赤石岳に向かうルートです。メンバーは、甲斐駒黒戸尾根と同じ4人です。
交通手段をよく覚えていませんが、おそらくタクシーで塩川土場まで入り、そして前回と同様に三伏峠に向かいます。三伏沢小屋に泊まるのも前回と同じです。翌朝、日がだいぶ昇ってから出発だったようです。下の写真は出発した直後、三伏沢からの撮影と思います。フィルムは、たぶんコダクローム64です。雲一つない天気です。なお、山行中、午後多少曇ったりすることはありましたが、ずっといい天気でした。なので日焼けしました。

三伏峠付近からの塩見岳

下の写真は、6月に行った時とほぼ同じ場所(烏帽子岳)からの塩見岳および北部の山々(間ノ岳、北岳、甲斐駒、仙丈)です。

烏帽子岳からの塩見岳

その先、写真を撮ったり、ライチョウの親子を見たりしながら、登り降りしました。前小河内岳、小河内岳、大日影山、板屋岳などのピークを越えるのにかなり時間を要し、その日は高山裏避難小屋に宿泊したと思います。
翌朝、荒川前岳に向けて登山開始です。前岳の手前だと思うのですが、振り返ると下の写真のように中央アルプスがきれいに見えています。よく見ると、南駒ケ岳あたりの後ろに御嶽山が確認でき、さらに中央アルプスの右に、乗鞍岳、そして北アルプスの山々がおぼろげに見えています。

荒川前岳への登りからの展望

荒川前岳に登り詰めると、南アルプス南部の山々が目に飛び込んできます(下の写真)。赤石岳、小赤石岳とともに、手前には大聖寺平や荒川小屋に向かうトラバース道が確認できます。こういうのを二重稜線、あるいは線状凹地と言うのでしょうか。また、赤石岳が光線の加減か、「黒石岳」に見えます。

荒川前岳付近からの大聖寺平・赤石岳

前岳のあとは、荒川中岳、そして悪沢岳(荒川東岳)に登ります。下の写真は、中岳あたりから見た南アルプス北部の展望です。中景が塩見岳、遠景が左から仙丈ヶ岳、甲斐駒ヶ岳、間ノ岳、農鳥岳です。北岳は間ノ岳の陰になっているようです。

荒川中岳付近からの南アルプス北部展望

下は、中岳付近から東側、悪沢岳と富士山を望む写真です。記念写真として取ったため人が写っていますので、加工しています。富士山方面に若干雲がありますが、まだまだいい天気です。

荒川中岳付近から悪沢岳と富士山

悪沢岳に到着し、特徴ある小赤石岳から赤石岳にかけての稜線を撮影しました。後ろに、聖岳や上河内岳などが望めます。ここの写真は、東面に朝日の当たるとき、および雪のあるときがやはり一番ですね。そういう時期、時間に改めて来たいと思いました。

悪沢岳からの赤石岳

このあと、中岳に登り返し、荒川小屋まで下りました。荒川岳カールは、夏なら高山植物がきれいなところでしょうが、この時は草紅葉も過ぎていました。
翌朝、赤石岳目指してスタートです。小赤石を越え、赤石東尾根ルートへの分岐を過ぎ、念願の赤石岳に到着しました。そこからの眺めは360°最高でした。
まずは、歩いてきた方角の写真です。小赤石岳と東尾根の向こうに荒川三山、遠景に仙丈ヶ岳、塩見岳(山頂のみ)、間ノ岳、農鳥岳が見えます。秋なので、まだ雲が湧きません。

赤石岳から北部展望

そして、南側に向いての写真です。三角屋根は当時の赤石避難小屋です。奥に聖岳、その左奥に上河内岳があります。

赤石岳から聖岳

登頂と展望に満足したら下山開始です。まず大聖寺平まで戻ります。そのあたりで撮影した荒川三山が下の写真です。高積雲らしき雲がかかってきましたが、一部の斜面にスポットライトが当たり、岩肌の質感が表れていると思います。

大聖寺平付近からの荒川三山

ここから左側、すなわち小渋川の方に下りました。その日、どこまで下ったのかよく覚えていませんが、たぶんその日は広河原小屋に泊まったのだと思います。広河原小屋からは、河原の渡渉か、登り降りの激しい高巻き道を選択しないといけないのですが、なにせもう10月後半なので冷たい水はやめて、高巻きにしました。下の写真は、小渋川のどこかから赤石岳あたりの稜線の夕照を撮影したものです。この日はほぼ上弦の月だったようです。

小渋川から赤石岳稜線を望む

山行中、誰とも会うことはありませんでした。10月後半の平日だったのですが、さすが南アルプス南部だと思いました。

若き日の山 11 甲斐駒ヶ岳 黒戸尾根2025年09月04日 15:20

大学3年の夏、甲斐駒・仙丈、穂高、常念と歩いた後、9月に入ってから、甲斐駒と言えば黒戸尾根、日本3大急登の一つに挙げられるその黒戸尾根から登らなければならないという使命感めいたものから、早朝、尾白川沿いの竹宇駒ヶ岳神社の駐車場に立っていました。今回は記憶が正しければ同級4人での山行です。竹宇駒ヶ岳神社の標高がだいたい750mくらい、甲斐駒ヶ岳頂上が2967mなので標高差は2200m以上あります。上高地と槍ヶ岳の標高差は1650mくらい、富士宮口五合目と富士山との標高差が1400mくらいなので、この黒戸尾根の標高差が如何に大きいかがわかります。初日の目標地は標高2350m(七合目)にある七丈小屋です。標高差1600mです。当時はまだ五合目にも小屋がありました。
十二曲り、八丁坂と呼ばれる急登を上り、刃渡りなどの岩場や鎖場、梯子を繰り返し上るとようやく七丈小屋に到着しました。おじいさんが管理する素朴な小屋だった記憶があります。
下の写真は、翌朝撮影した七丈小屋です。フィルムはエクタクロームで、褪色していますがなかなか味のある色調になっていると思います。

七丈小屋

下の写真は、おそらく八合目の御来迎場付近から撮影した山頂方面です。頂上が見えているのかどうかわかりません。左側の岩場は赤石沢奥壁と言うそうです。赤石岳でもないのに赤い石がある沢なのでしょうか。

8合目付近からの甲斐駒ヶ岳

八合目から九合目の間のどこかで撮影した鋸岳のピークです。

鋸岳方面

たぶん九合目くらいからの赤石沢奥壁上部です。少なくとも、この辺りまでの天気は良かったようです。この後、頂上に行き、食事をしたはずですが、なぜか頂上や下山時の写真がありません。

甲斐駒の岩壁

その日、駐車場まで下山しましたが、かなり暗くなって、ヘッドランプを点けた記憶があります。2200mを下りたので、足が笑っていたと思います。
さて、日本3大急登のあとの2つは、北アルプス烏帽子岳のブナ立尾根、谷川岳の西黒尾根だそうです。ブナ立尾根は、1985年に下りで歩き、西黒尾根は、1986年にその上部のみ下りで歩きました。いずれも確かに急な下りで、年を取った今では歩きたくもありません(というより歩けません)。上り下りにかかわらず、自分で歩いた登山道で二度と歩きたくないと思ったのは、飯豊山の大嵓尾根(だいぐらおね)と、黒部の読売新道です。いずれも下りで使っただけですが、これを上りに選択する人は、余程すごい人か騙された人かな、と思ったものでした。

若き日の山10 槍ヶ岳2025年08月22日 17:38

槍ヶ岳に登ったのは、先に書いた穂高岳山行の4年後で、社会人になった年の夏です。職場の人たち、20代の私から40代半ばの方までの6人のメンバーでした。確か、翌日の午前0時からマイカー規制で上高地に入れなくなるので、金曜日の仕事終了後すぐに出発した記憶があります。何とか間に合い、釜トンネルを越えて上高地の駐車場に日が変わる頃に到着しました。車、あるいは待合室みたいなところで仮眠して、翌朝、出発です。どうなるかわかりませんでしたが、一応、その日の目的地として槍ヶ岳山荘を目指します。小屋泊なので荷物は軽いです。最初は観光客とともに歩き、徳沢、横尾、一ノ俣とどんどん人が少なくなっていきます。だんだん勾配もきつくなり、登山道らしくなってきました。
下の写真は、槍沢の上部、槍ヶ岳が間近に見え始めた雪渓からの撮影です。まだ7月なので雪も多く残っています。このときは、モノクロフィルムをカメラに入れていたようです。たぶん、コダックのPLUS-X125だと思います。

槍沢上部を登る

プリントの多くを廃棄したため、残っていたのは撮影したものの一部です。
槍沢を詰めて槍ヶ岳山荘に到着したのが午後4時より前だったと記憶しています。受付を済ませた後、頂上(槍の穂先)に登りました。
下の写真はその頂上で、偶然に現れたブロッケンです。東の空にガスが湧き、夕日の差した頂上と人を映し出しています。この写真はカラープリントであり、おそらく同行者が撮影したのをいただいたものと思います。

槍ヶ岳でのブロッケン

槍ヶ岳山荘に泊まり、翌日は東鎌尾根、ヒュッテ大槍経由で上高地に下ったと思います。下の写真は、その尾根上のどこかで撮影した槍ヶ岳から北鎌尾根の稜線です。
北鎌尾根と言えば、著名な登山家が冬に遭難したことで有名です。松濤明および加藤文太郎です。松濤明については、「風雪のビバーク」というタイトルの本が出ていました。北鎌尾根で登山パートナーとともに遭難し、その最後の手記が心を打ちます。また、加藤文太郎は単独行者として有名でした。彼については新田次郎の小説「孤高の人」で描かれてます。加藤文太郎という人間をモチーフに小説化したものなので、北鎌尾根の遭難の記述については事実と異なることもあるようです。その最後の状況の描写には松濤明の手記が参考にされているとのことです。なお、加藤文太郎自身は「単独行」という著書を残しています。

槍ヶ岳と北鎌尾根

この北鎌尾根、大学の時、友人と一度行こうとして、七倉から高瀬川沿いに上り、湯俣山荘、さらに水俣川から千天出合付近まで入りました。「幸いにも」台風が近づいてきたので、ここで断念して引き返しました。無雪期とはいえ、技量的に無謀だったと思います。

若き日の山9 一ノ俣谷から常念岳2025年08月08日 12:24

相棒と2人で涸沢から下りてきて、横尾でテントを張ったかそのまま常念に向かったかは忘れました。横尾から約1時間北に歩くと一ノ俣沢に出会います。当時は、一般的な登山コース(登山地図で赤い線で描かれていた)ではありませんが、黒い細い線で描かれた常念乗越に出る登山道がありました。道もそれなりについており、印もありました。ただ、単なる丸太1本の濡れた橋だったり、架けられていたはずの橋や梯子が壊れていたり、難コースであることには変わりはありません。涸沢への登山開始時には30~35kgくらいあった背負子は、食料がかなり減ったとはいえ、それなりの重さがあり、それをかついで谷を行くのは少し難儀でした。いくつもの滝が出現するのですが、登ることに専念していたのか、印象がなく、また、写真を一枚も撮らなかったようです。途中からは、普通の谷コースになったと記憶しています。
常念乗越には常念小屋があり、テントサイトもありましたので、幕営しました。翌朝、日の出前に常念岳に向かいましたが、頂上に着く前に日の出が始まりました。写真を撮った順序は忘れましたが、日の出後の東の空を撮影したのが下の写真です。ここでは、エクタクロームを使っていたようです。

常念岳稜線からの日の出

西側は、槍ヶ岳から穂高岳への稜線に日が当たり始めます。残念ながら、頂上部は雲がとれませんでしたので、槍の穂先は写っていません。先日、北穂から見下ろした大キレットは明確にわかります。なお、下の写真には写っていませんが、確かブロッケンが現れたと思います。

朝の槍・穂高の稜線

下の写真は、常念岳付近から見下ろした常念小屋とテントサイト、そして大天井岳へと続く稜線です

常念乗越~大天井岳

景色を堪能したのち、テントに戻り、東側の一の沢経由で長い山旅の帰途につきました。

若き日の山8 穂高岳2025年08月07日 17:47

若き日の山6で甲斐駒・仙丈に行った2週間後、それなりに登山を始めてから初めて北アルプスに行きました。これまで比較的人気(ひとけ)のない南アルプス中心でしたが、人気(にんき)のある北アルプスにもやはり行っておくべき、という食わず嫌いはいけないみたいな考えからです。夏の人気と言えば、穂高です。涸沢にテントを張ってその周辺を歩きました。記憶が怪しいのですが、出だし、上高地から入って小梨平にテントを張ったら雨に降られて、翌日、横尾で濡れたものを乾かしてから涸沢に入ったと思います。涸沢に着いた後は、まず前穂北尾根の屏風のコルまで行き付近を散策したと思います。天気はいまいちだった記憶です。食料が1週間分くらいあったはずなので、ゆっくりできます。
翌日、北穂高岳に登りました、たぶん。下の写真はその途中か頂上あたりで撮影した前穂高岳と北尾根です。右に奥穂高岳があります。涸沢カールの残雪はお盆近くだとこんな感じでした。なお、フィルムはネガフィルムでコダカラーです。プリントの縁に東洋現像所のロゴマークとプリントした年(西暦下2桁)が確認できます。ロゴマークはたぶん極東研究所とよばれていたところの頭文字(FEL)なのでしょう。なお、東洋現像所は今はイマジカとなっていると思います。

前穂高岳と北尾根

色がかなり褪せています。45年も経つので仕方ありません。ネガは定年直前の引っ越しですべて廃棄してしまいました。一部のプリントのみ残しました。リバーサルではなく、ネガを使った理由は、・・・単にそういう気分だった???
下の写真は北穂から大キレット越しの槍ヶ岳です。槍ヶ岳に登ったのは、会社に入ってからとなります。

槍ヶ岳

翌日(または次に天気が良くなった日)、奥穂高岳と前穂高岳に行きました。下の写真は、奥穂山頂付近からの笠ヶ岳です。谷を隔てて山全体がきれいに見えます。この笠ヶ岳には、娘が9歳くらいのときに登ることになります。

笠ヶ岳

次の写真は、奥穂からのジャンダルムです。ジャンダルムとは、当時は主峰の前に立ちはだかる「前衛峰」と理解していましたが、今検索してみると、由来はフランス語の「憲兵」を意味するgendarme、と出てきます。憲兵は守ってくれるのではなく、邪魔をするのでしょうか。このジャンダルムを通るルートは難コースとなっています。この難コースルート(奥穂ー西穂縦走)は、次の年の秋に行くことになります。

ジャンダルム

下の写真は、奥穂から前穂に向かう吊り尾根の途中で撮影した前穂高岳と明神岳主稜です。さすがに、明神岳には行っていません。ただ、その稜線の向こう側にある奥又白池から前穂高岳に登る一般向け難ルートには、翌々年に行っています。

前穂高岳から明神岳への稜線

この後、涸沢に戻り、翌日はせっかくなので上高地には戻らずに、常念岳を越えて帰りました。次回、これを書きたいと思います。