おいらくの山1 富士山1900m付近 ― 2025年12月03日 21:30
富士山の山頂は、大学の時(5月の末頃だった)に踏んだのみで、それ以来登っていませんが、宝永山を含めて中腹程度までならときどき歩いています。1昨年の11月後半にすでに冠雪した富士山を撮影しようと、表富士を歩きました。昔は「表日本」「裏日本」と言う言葉がありましたが、今では使われなくなりました。「表富士」はどうなんでしょうか?
須山御胎内入口から登り、幕岩、三辻󠄀と歩き、小天狗塚に到着しました。ここが最初の目的地です。
南の方角に道標があります。奥に伊豆半島と駿河湾が見えています。北に目をやると、富士山と宝永山が少し重なって間近に見えます。この辺りの標高は約1900mで、富士山頂のちょうど半分くらいです。ここまで来ると富士山はだいぶ扁平に見えます。宝永山は、その南側の崖をこちらに向け、富士山にも宝永火口上部の崖があるのがわかります。また、この辺りはカラマツが自生しています。なお、山頂付近は風が強く、雲の様子がどんどん変わります。最初は頂上が見えなかったのですが、寒風に耐えて待っているとここまで見えるようになりました。
参考までに5月(昨年の5月中旬)の同じところから撮影した写真を載せます。雲は全くありません。残雪とカラマツの新芽が季節感を表しています。
引き返して、次の目的地に向かいます。双子山(二ツ塚)と呼ばれるところです。三辻󠄀を過ぎて四辻󠄀まで来ました。宝永山と富士山の位置関係が変わります。頂上付近の雲も取れています。
双子山の下塚まで来ました。ここからは、双子山の上塚、宝永山そして富士山のそれぞれ山容の異なる3つが重なって、絶妙な配置になります。手前の丸い形の上塚(標高1929m)、その上に崖の見える宝永山(2693m)、そして雪に覆われた富士山(3776m)。上塚には紅葉を過ぎた草が、身を寄せ合うように、小さな円状に集まって生えているのがわかります。これらの草地は、火山性の礫ばかりの富士山においても、季節によって緑、黄、赤と彩を添えてくれます。
少し待つと、やはり雲が取れてきます。宝永山と富士山の境界が少しわかりにくいですね。
北東方向に目をやると、山中湖が見えます。
撮影した場所、下塚(1804m)も入れて撮影すると下のような感じです。また雲が湧いています。火山性砂礫の道は、登ると足元から崩れるので、倍以上の労力を要します。上塚や宝永山も別の日に登りましたが、同じように登り辛いです。
幕岩方面に下り始めると、また山頂が見えてきました。このあたりは、ルートとなっているらしく、上空をよく飛行機が飛びます。
登山口まで下りて、車を運転して帰途に着きましたが、途中、足がつって往生しました。情けないです。
冬の野鳥1 オオマシコ ― 2025年12月07日 17:53
冬、日本にやってくる渡り鳥でバーダーの間で人気があるのが赤い色の鳥、オオマシコです。漢字では大猿子と書くようです。誰でも想像できるのが、猿の顔やお尻の赤色から来ているのかな、ですね。
私が最初にこのオオマシコを見たのは、2007年早春の丹沢です。この年はオオマシコの当たり年だったらしく、各地で見られたようです。私がバードウォッチングを始めて間もない時で、まだ、フイルムカメラと安いサードパーティのズームレンズを使用していて、ろくな写真が撮れませんでした。一応、写真に収めることができたのは、翌2008年の1月でした。この年はあまりオオマシコの渡りが多くなかったようです。なお、2007年の春にデジカメ(一眼のエントリーモデルと安い純正ズームレンズ)を買っています。
早朝に野辺山に着いたら、木々が雨氷に包まれ、朝日を浴びてきらきら輝いています。雨氷とは、雨滴が過冷却状態の水滴として降ってきて、木の枝やその他の地物に付着する瞬間に透明に近い状態で氷結したもの、と説明されています。このようなきれいな雨氷を見た記憶はこの時以外ありません。
そんな中をあちこち歩き回りました。すると、赤い鳥が木の枝を飛び交っているのが目に入り、近づいてみると、木の実をついばむオオマシコであることがわかりました。写真を撮りながら近づきます。食事に夢中の鳥は逃げないでいてくれます。雌か若い雄か、ちょっとわかりませんでした。木はイボタかと思われます(間違っていたらすみません)。
別のイボタ(?)の木にも数羽が採餌しています。下の写真のオオマシコは明らかに雄です。氷の付いた実を食べています。水分と一緒に餌が食べられるので一石二鳥ですね。
こちらも雄です。
地面に落ちた実を食べるオオマシコもいます。ゆっくりなら近づいてもオオマシコはあまり逃げません。立派な雄です。どうしても見栄えのする雄に目が行ってしまいます。地味だがかわいい雌を撮りたくなるのはもう少し後になります。
なお、野鳥を撮影する人にはよくあることですが、よりきれいに撮影したくなって、次の年、レンズを買い替えることになります。
冬の野鳥1 オオマシコ(その2) ― 2025年12月12日 17:22
先の野辺山は、観察範囲が広いため、その後オオマシコに出会えたのは数年後の1回だけです。オオマシコに次に出会った場所は、山梨中部やや東の有名な林道です。翌年の2009年の2月に初めて行きましたが、この頃は土日でもまだそんなにバーダーが多くはありませんでした。林道入り口からそんなに遠くないところの斜面で採餌していました。暗い斜面ではきれいに撮れません(まだ、最高感度ISO1600のエントリーデジカメです)。林道入り口から林道の最高地点まで歩いて2~3往復します。あるときは、採餌をやめて、カラマツの木の上の方で数羽が休んでいます(下の写真)。
2月の末に、週末にちょうど雪が降ったので行ってみると、数人の先行者がおられましたが、和気あいあいと撮影することができました。雪がうっすらと積もったイタドリと思われる実をついばんでいました。
地面に積もった雪の上に落ちているイタドリやヤマハギの実を食べている個体もいます。下の写真には3羽の♂が写っています。
さらに、同じ場所に翌2010年の12月に行きましたが、この頃になると人がすごく増えていました。それでも、上まで登る方は多くなかったので、たまたま人がいないところのヤマハギを必死に食しているオオマシコをじっくりと撮影することができます。このときは、すでにハイアマチュア向けのデジカメとレンズも単焦点の300mmとテレコンバーターを買っていました。撮影スタイルが三脚を立ててのじっくり型ではなく、歩き回っての撮影なので、大砲レンズは持てません(高くて手が出ないのが本当の理由です)。下の写真はそのカメラレンズで撮影していますが、画質を落としてアップしているので、上の写真と大差はないかもしれません。
上の写真は♂ですが、下の写真は♀を撮ったものです。
そして、翌年2011年の正月明けにも撮影に行きました。いい天気の日向なので、高速シャッターが切れます。♀(と思われる)が、ヤマハギの細い枝にしがみついて、さらに細い枝先の実を採ろうと翼でバランスを取って体を伸ばし、
まさに食べようとする瞬間です。ちゃんと舌を持っています。
こちらは♂が隣の枝に飛び移るところです。
その後、数回ここを訪れていますが、林道の整備・開発工事が入り、またどういう理由かは定かでありませんが、ヤマハギの木があちこちで切られたりして、あまりオオマシコも見かけなくなったように思います。2016年以降は行っていないので、最近の状態はわかりません。なお、2012年の11月25日にもここを訪れていますが、そのとき中央高速の笹子トンネルを利用しています。その約1週間後の12月2日に、崩落事故が起こったことはご記憶にあると思います。事故を知った時には、恐怖感と安堵感の両方の何とも言えない気持ちになりました。
次回は、その他の場所で撮影したオオマシコを紹介したいと思います。
冬の野鳥1 オオマシコ(その3) ― 2025年12月13日 22:40
オオマシコシリーズ最後です。
まずは、河口湖から遠くない一般車が通れない林道です。ここでは、野鳥カメラマンに出会ったことはありません。野鳥が豊富とか、行けば必ずいるというところではありませんが、自然の中のウォーキングのついでに、時々うれしい出会いがあります。2012年の大晦日もそんな日でした。それまでにこのあたりにオオマシコが来ているのは観察していましたが、この日は帰りの道で、1羽の♂が見送りに来てくれて、我々が立ち去るまでサービスしてくれました。太陽が傾く時間でしたが、夕日が当たる場所でしたので、比較的いい条件で撮影できました。
次の撮影は、最初に紹介しました野辺山ですが、観察場所は異なります。2013年1月、車で移動していると道路脇の山萩の木で数羽が動くのが見えました。まず、車内から撮影し、逃げないのを確認して車を端に止め、降りて撮影しました。♀のオオマシコです。表情が♂より柔和です。
この日は他にも、ベニマシコやマヒワ、ウソ、アトリ、そして猛禽(たぶんチュウヒ)が観察できました。目は山にも向いて、まず西の方に八ヶ岳の主峰、赤岳(右のピークに赤岳頂上山荘が見えます)、
そして北の方には浅間山が比較的きれいに見えました。特徴的な斜面の凹部の雪の筋が確認できます。
次は山中湖近くの公園です。2013年1月、上の野辺山の次の日です。あまりこの辺りでは見たことがありません。全部で5羽くらいいたと思います。
そして最後が長野県の中央部の林道です。特に最近有名になっているようですが、私が初めて行った2015年頃はまだ地元の方が主だったように思います。下の写真は2016年の2月の撮影です。口を開けている♀と、少し眠そうな顔で振り返る♂です。
下は翌年2月に撮影した背筋を伸ばした♀です。
コロナが流行した2020年まではまだあちこちに撮影に行っていましたが、腰痛がひどくなったこともあり、それ以降は頻度が大きく低下しました。
次は、やはり過去の振り返りになりますが、同じく赤い冬鳥のイスカをまとめてみたいと思います。
おいらくの山2 浅間山 ― 2025年12月19日 18:30
オオマシコ(その3)で浅間山の写真を掲示しましたが、浅間山、正確には火山活動のため山頂入山禁止の浅間山が間近に見える外輪山に登ったのは、昨年の9月です。今年の夏は、腰痛と坐骨神経痛のため、まともに山歩きはできませんでした。
登山と言っても、最短コースの登山口まで車で行って登るので、「若き日の山」や「中年の山」で書いている行程と比べると極めて平易なコースです。年なので仕方ありません。また、昨年の夏も猛暑でウォーキングをサボっていたので、足腰が弱り切っていました。
朝早く家を出て、登山口となる車坂峠(群馬県嬬恋村 標高は1973m)に9時半頃に到着しました。無料の駐車場に停めて、身支度をして下の写真の登山口から登り始めます。睡眠不足と長時間運転の疲労のまま登るので、昔は感じなかった不安を感じながら上に向かいます。
最初はまあまあ順調でしたが、なかなかペースが上がらず、妻に置いて行かれ、喘ぎながら登ります。下の写真は、1時間ちょっと登って、トーミの頭の手前のところです。
トーミの頭(標高は2300mくらい)には、標準コースタイムを少しオーバーして到着です。残念ながら雲が湧いて浅間山は完全には見えません。この後、晴れてくれるといいのですが。蛇骨岳を一応の目的地にしています。
これから行く蛇骨岳の先の外輪山です。中央少し左の三角形のピークは仙人岳、右の方のピークは鋸岳だと思います。
トーミの頭から30分弱で黒斑山(くろふやま 2404m)に到着しましたが、展望がイマイチなのと、人が多かったので通過しました。だらだらと樹林帯を歩き、ときどき晴れ切らない浅間山方面の視界が開ける道を歩いて、ようやく蛇骨岳(2366m)に到着しました。目の前に浅間山が迫ってきます。少し雲が上がりましたが、まだすっきりとはいきません。
振り返ると、浅間山と外輪山の間の湯の平と呼ばれるところを隔てて剣ヶ峰が見えます。右手が黒斑山の斜面です。
さらに雲が切れそうな雰囲気があったので、仙人岳の方向に少し足を進めます。すると、完全ではありませんが、かなり浅間山の頂上部分も見えてきました。これが本日の限界でした。右のピークが前掛山(2524m)で、ここまでは立ち入りできるようです。中央付近の突起が浅間山頂上(2568m)だと思います。左の上部斜面に小さな突起がありますが、これが千トン岩と呼ばれるものでしょうか。
もう少し仙人岳方向に歩きましたが、また雲が下がってきました。下の写真の左のピーク仙人岳にはまだもう少し距離があります。お昼を過ぎておなかも空いてきたので、ここで昼食にしました。そして、足腰は下りの方が心配だったので、下山することに。
少し歩くと、雲が上がったので、最後の浅間山を撮影し、下山を急ぎます。
行きには撮影しなかった黒斑山で記念写真を撮りましたが、もう浅間山は見えなくなっていました。
このあと、急な下りでは足がつるのを我慢しながら、登山口に着いたのは午後3時くらいになっていました。その日は北佐久IC付近のホテルに1泊し、翌日は小諸城址懐古園を訪れました(なんと、9時前に入場すると無料でした)。
小諸城址 懐古園 ― 2025年12月21日 22:31
浅間山外輪山登山の次の日、朝食を早めに終え、小諸城址懐古園に行きました。入場無料となる9時より前です。専用駐車場はありますが、JRを挟んだ東側(大手門のあるところ)に2時間まで無料の市営駐車場があったのでそちらに停めます。JRの下をくぐる地下道があるので、簡単に懐古園の入り口である三の門に行けます。
二の丸跡、黒門橋を過ぎると懐古神社の鳥居に着きます。ここには、「小諸城址」という石門柱や「本丸跡」という標示板もあります。小諸城の本丸のあったところに懐古神社を建立したということでしょうか。なお、小諸あたりには若いころはスキーの帰りに、近年も湯ノ丸や軽井沢近辺に来たことも結構ありますが、懐古園を訪ねたのは今回が初めてです。
懐古神社などの説明が下にありました。
下の石垣の上に天守閣があったようです。
小諸の古城といえば、島崎藤村の有名な詩が記憶にあります。「小諸なる古城のほとり 雲白く遊子悲しむ・・・」ですね。下の説明やネット情報をまとめると、この詩が最初に発表されたのは、「旅情」というタイトルで「明星」という雑誌の創刊号だった、ということです。懐古園の北西の角にもこの詩碑があるようですが、私はそこまで行きませんでした。この詩には、その後、弘田龍太郎という作曲家によりこれを歌詞として曲が作られたそうです。ともかく、島崎藤村は、英語と国語の教師として小諸に赴任しており、この詩が生まれたということもあって、ここ懐古園には藤村記念館が設立されたのでしょう。
さらに、島崎藤村と言えば思い出すのが、下の石碑にある「椰子の実」という詩です。これは詩というよりは、音楽の授業(中学?)で歌として習ったものです。確か、柳田國男の伊良湖岬での経験(海辺に南方より椰子の実が流れ着いた)を聞いた藤村が詩を作った、と覚えています。
今、念のためネットで確認してみると、大学生だった柳田國男が静養のために渥美半島の伊良湖岬に一か月ほど滞在しているときに、海岸(恋路ヶ浜と言われています)を散歩中に南の海から流れ着いた椰子の実を見つけたらしい。どうも2つあったらしく、1つは壊れていたが、1つは完全な姿だったようです。その話を東京に帰った時に、当時近所に住んでいた島崎藤村に話したら、「君、その話を僕に呉れ給へ」ということになったらしい。ともかく、あの詩の内容は柳田國男や島崎藤村が経験したことではなく、フィクションということのようです。
藤村記念館のそばには、樹齢500年と言われる大きな欅(ケヤキ)の木がありました。
懐古園を後にし、まだ時間があったので駐車場近くの大手門に行きました。JRで分断されていますが、ここも小諸城の一角であることがわかります。なお、この大手門と懐古園の三の門が国の重要文化財に指定されています。
このあとは、かりん道路沿いにあるベーカリーココラデ 御代田店でパンを買って、そこで浅間山を見ながら食べ、その後、道の駅 ヘルシーテラス佐久南で買い物をして帰途に就きました。
冬の野鳥2 イスカ(その1) ― 2025年12月27日 22:47
冬の渡り鳥でオオマシコとともにバーダーに人気のある赤い鳥はイスカです。漢字では交喙と書くようで、交わったくちばしという意味だそうです。以下の写真をアップで見ていただけるとわかりますが、まさに上下のくちばしがずれていて交差しています。この鳥を最初に見たのは、2009年の1月です。バードウォッチングを始めて2年目くらいです。正月明けに山中湖近くの有名な水場で撮影していた午後、その場にいた二人組のおじさんバーダーと話していて(自分も十分おじさんでした)、「この辺りにはイスカがいるけど、行動範囲が広くてなかなか見れない。松林があるところならどこでも可能性がある」と聞いてへー、じゃあちょっとそういう目で探してみるか、と思ったものでした。すると、その1週間後、富士山の吉田口登山道近くで、あまり聞き慣れない鳴き声で飛ぶ野鳥の群れがいて、見ていると近くの松の木のてっぺんあたりに止まりました。望遠レンズで覗いてみるとイスカ(3羽とも♂)ということがわかり、感激しましたが、思ったよりあっけなかったな、と思ったものでした。なお、このときはまだエントリーモデルデジカメとズームレンズ+テレコン(マニュアルフォーカス)だったので、明瞭には写っていません。
その年の5月にもその近くで昼食中にそばにイスカが来ましたが、急だったのでうまく撮影できませんでした。ちゃんとカメラに収められたのは、翌年2010年の5月最初にやはり河口湖近くの有料で野鳥観察ができるところです。池のあるところです。ここでイスカも見られるということはまだそんなに知られていなかったのではないかと思います。この日、ここの管理人さんと思われる人と話をし、「イスカが来ているよ」とおっしゃったので、「はい、しっかり見ました」とお答えしました。
このときはカメラもハイアマチュアモデル(撮像素子はAPSサイズ)、レンズも単焦点300mm(+必要により純正テレコン)と新しくなっています。イスカ独特の鳴き声が聞こえて上を見上げると、カラマツの新芽にイスカ(♂)が止まっています。
下の方に降りてきた♀です。この日は、他にカメラマンはいませんでした。
♂も降りようとこちらをうかがっています。
なお、イスカは冬の渡り鳥とされていますが、実際には5月だけでなく、通年いるという話も聞きます。ヒタキ科の冬鳥の代表格ジョウビタキも最近は夏に日本で繁殖しているようで、私も7月に幼鳥を見ました。
次の観察地は山梨県中東部の林道です。翌2011年の1月、林道を歩くと間もなく例の鳴き声が聞こえます。カメラマンも結構いました。松の木の上の方で松ぼっくりをつついているのが見えます。ほぼ真上なので、撮影には首が疲れます。
松の実をうまく取り出し、カスは落とすようです。
松ぼっくりを咥えて移動します。
次は、最初にイスカを見た場所より西側でもう少し標高の高いところです。細い小径を歩いていると、やはり独特の鳴き声が聞こえました。下の道に水溜りができているようで、安全が確認できるまで上で待機しています。
ファーストペンギンならぬファーストイスカが降りようとうかがっています。このあと、何羽かが水溜りに降りてきましたが、ちょっと陰になったりして、写真はうまく撮れませんでした。
次の場所は、富士山の静岡県側の須走です。車を道路わきに停めて、小径を少し歩いていると、イスカがいることがわかり、観察していると♂が松ぼっくりを咥えて顔を出しました。
以下の写真は、河口湖近くの有料で野鳥観察ができるところに2014年の4月後半に行った時のものです。この日も、たまたま他にカメラマンはいませんでした。まずは、多くのイスカが池に降りてきたところです。
枝どまりの♂です。少し位置を変えて撮影しています。
池に降りる直前です。
池に降りる直前の♀です。
池の見えるところに位置を変えての撮影です。
この頃になるとこの場所もイスカが撮影できるところと知られるようになっていたと思います。なお、この場所はその後、カメラマンが木を切ったりといった様なマナー違反というか、もはや犯罪が起こったようで、2021年頃から、野鳥観察禁止になったようです。本当に悲しいことであり、残念です。
後編は、2015年以降の撮影をご紹介する予定です。
冬の野鳥2 イスカ(その2) ― 2025年12月30日 21:10
2015年の冬は信州中央部の林道に初めて行きました。2月で車はすでに通行止めになっていましたが、スノーモービルが積雪のある道路を行ったり来たりしていて、樹上に野鳥を見つけても降りてくる気配はありません。なお、あとで調べたらスノーモービルは一般道路は通行できないようなので、遠慮する必要はなかったです。
昼を過ぎてもう帰ろうと入口の方に戻っていくと赤い鳥が数羽飛び交っています。イスカです。
遠くへ行かずに1本の木の枝から枝へ飛んでいる雄がいました。それなりに撮れた飛びものは、この後ろ姿だけです。
そして、まったりしてアクティブではなくなりました。帰る時間もあり、ここの大体の様子がわかったのでこの時は(この年は)ここまでの撮影でした。
翌2016年の2月、同じところに行き、一通り冬鳥を撮影して帰ろうとしたら、また入り口近くでイスカを発見。写真を撮って拡大すると、右は赤い雄、左は・・・、んー、グレーっぽい縞々。どうもこれがイスカの幼鳥のようです。初めて見ました。
別の写真を引き伸ばすと、交差する嘴と縞々模様がよくわかります。
このときは、これ以上の写真を撮ることはできませんでした。
調べてみると、イスカは冬に繁殖することが多いらしい。餌となる松の実がなったあとに子育てをするためで、その地域や松の種類により異なる実り具合により繁殖時期を調節する能力があるとのことです。従って、冬鳥として日本でも繁殖する場合もあるし、場所によっては夏も留まることもあるようです。
ちょうど1年後にもここを訪れました。そして、また幼鳥を見ることができました。羽の色を除けば、形は大人とそんなに変わりはありません。
近いところの枝のこちらに止まってくれました。
ファッションショーのように回ってくれます。
道路脇にまで来てくれます。
そして木に戻ると母親がやってきて、給餌をしました。やはり幼鳥です。
ちょっと角度が悪かったようで、口元が見えません(残念)。
こぼれた餌でも舐めているのでしょうか。
近くにいたので、これが父親なのだと思いました。
その年の11月の末に訪れた時の写真です。群れが飛んできてこの松の木に止まりました。
1ヶ月後に再度行ったときは、雄雌をアップで撮影できました。
最後は、河口湖近くの有料で観察できるところから遠くないところの林で撮影したものです。2018年の5月です。いつもいるわけではありませんが、声を頼りにすれば見ることが可能です。
そして2021年の5月、すぐそばの別の池のある公園で、水飲みに来るイスカの写真です。まずは、雌です。先にいたビンズイが威嚇していますが、意に介しません。
次に、雄2羽がやってきました。
雌がもっと近いところに来ました。
以上、2009年に初見して以来、比較的あちこちで見ることができたと言えます。人をあまり恐れない、声を出してくれる、梢など見やすいところに止まる、などが理由と思います。もう一つ、あちこちを歩き回った、というのも大きな理由だと思います。




















































































