思い出の風景 一宮御坂の桃の花 2 ― 2026年05月09日 22:10
今回は、デジカメで撮影した、桃の花を中心にした春の御坂路の写真です。
最初は、2009年4月5日の撮影です。少し早いので、すももと菜の花がほぼ満開で、桃は少し手前、という感じです。天気があまり良くはなかったので、色がちょっと出にくく、遠景はもやっとしています。
菜の花、すもも、桃がいい具合に咲いています。
このとき、少し薄日が差して少し色合いが良くなったと思います。
次の写真は、2014年4月12日の撮影です。この日は快晴です。斜面に桃とすももが帯状に存在するので、写真的には絵になりますが、生産者の方は大変だと想像します。
次は、このころ(2013年)に延長区間が完成したリニア実験線が見えるところの写真です。
実験線の手前に桃の花、奥左に甲斐駒ヶ岳があります。このあたりは、八代町です。
次は、白根三山がよく見えるところの写真です。この年(2014年)は、私が最初にこの辺りの写真を撮った時から30年くらい経っていますので、高齢化が進んでいるのでしょうか、伐採された桃の木もありますし、斜面の上の方が少し荒れ始めているようです。
先ほどの実験線が見えるあたりで、ちょうど、リニア実験車両が通りましたので、望遠レンズで撮影してみました。私も一応技術系なので、技術の進歩により便利になることには賛成です(しかし、死ぬ前に完成したとしても、もう乗ることはないと思います)。ただ、昔よく通った南アルプスの美しい自然環境に無視できないレベルのマイナスの影響を与えるとするならば、それを何としても回避してほしいと思います。
望遠レンズをつけているときに、真上をノスリが優雅に飛んでいたので、撮影してみました。
このあとの写真は、2023/3/31の撮影です。3月なのに、桃の花もかなり咲いています。
最初は、手前に菜の花、中景に桃、遠景に山(一番奥に奥秩父の山があると思います)というありふれた構図です。
そして、桃の花と白根三山です。
最後に、桃の花、リニア新幹線(実験線)、白根三山です。
ここ2,3年は、ちょっと行くことができていません。来年には、また行ってみたいと思います。
思い出の風景 一宮御坂の桃の花 ― 2026年05月01日 16:53
もう5月になってしまいました。少し季節が戻ります。毎年ではありませんが、春4月になると、山梨県に桃の花をよく見に行きました。御坂から一宮あるいは八代のあたりです。今はいずれも笛吹市になっています。
最初の写真は1987年4月(日付は不明)のものです。娘が1歳半くらいのときです。カラープリントをデジタル化しました。デジタル化については、本ブログのこちらの記事を見て下さい。
この写真の時期は、生産農家の方がまだ摘花する前なので、花の密度も濃いです。
次の写真は、1993年4月で、手前の白い花はすももです。ぼんやりとしか写っていませんが、右上奥の雪の付いている山は奥秩父の山々と思われます。
下は、同じ日の写真で、手前の花にピントを合わせて、バックをぼかそうとしたのですが、思うように撮れていません。
次は、1998年4月11日の撮影(プリントに日付が入っていました)で、桃の花の手前にたんぽぽが咲いています。
次も同じ日の撮影で、桃とすももと菜の花の畑になります。
下の写真は、2002年4月の撮影です。少し遅かったのか、すももがすでに花が終わって葉になっています。バックにぼんやりと白根三山(白峰三山)が見えます。
下の写真も同じ日の撮影です。桃畑の向こうに石和町や甲府の市街地、そして奥の方に深田久弥終焉の地の茅ヶ岳、さらに奥には八ヶ岳が一応確認できます。
今は、桃の開花、満開の時期がこの当時より少なくとも1週間は早くなっていると思われます。この後は、デジカメで撮影した写真が残っていましたので、これを次回のブログで載せたいと思います。なお、一眼レフのデジタルカメラは、2007年に初めて買ったようです。
若き日の山21 GWの千枚岳・悪沢岳 ― 2026年04月15日 21:16
GWが近くなってきましたので、学生のころのGWの登山を書きたいと思います。
1978年のGWは椹島から千枚岳と悪沢岳に登りました。雪のある赤石岳を千枚岳・悪沢岳から撮影したい、という欲求からです。登山口は大井川の上流の椹島になります。椹島まで、このときどのように行ったかちょっと記憶が飛んでいます。「若き日の山3」のように金谷という東海道線の駅から大井川鉄道とバスでのアプローチもありましたが、車で畑薙第一ダムまで行き、そこの駐車場に停めたような気がします。そして、畑薙から椹島までは、この辺りを管理する東海パルプという会社の登山用マイクロバスを利用できたか、5時間近くかけて歩いたか、あるいは、たまたま通りかかった通行許可車に便乗できたかのいずれかです。
椹島ロッジが営業開始したのがちょうどこの年1978年で、宿泊客向け送迎バスの運行が翌1979年から、となっているので(特種東海製紙グループのHP参照)マイクロバスはまだ運行していなかったかも知れません。なお、東海パルプという会社の山林事業部を1979年に分社化してできたのが東海フォレストで、今は特殊東海フォレストという名前になっているようです。椹島ロッジや二軒小屋ロッジあたりはリニア新幹線開通に向けた工事で賑わっているものと思います。工事が大井川水系や南アルプスの自然に影響を与えないことを願います。
いずれにしても、たぶんテントを持参していたので椹島で1泊して、翌日、早朝に出発して6~7時間かけて千枚小屋に到着したと思います。これも記憶が曖昧ですが、おそらく、小屋に大きな荷物は置いて、千枚岳、そして悪沢岳に向かったと思います。たぶん、昼間だったので、アイゼンは装着しなくて済んだと思います。そして、千枚小屋から2時間弱で悪沢岳頂上に立ったと思います。頂上から撮影した赤石岳方面の写真が下になります。天気は良かったのですが、光線がなんとなくのっぺりとしてしまっています。展望が素晴らしいので、贅沢は言えません。フィルムはエクタクロームです。
千枚岳~悪沢岳の間で、ライチョウをよく見かけました。まず、雄です。
純白の冬羽から、首回りが黒くなり始めています。なわばりを主張しているのでしょうか、尾羽を立てています。次の写真は雄(手前)と雌です。つがいになるでしょうか。
そして、少し大きく撮れた雌です。登山では望遠レンズを持っていくことはほとんどありませんが、もしかすると100mmレンズは持って行っていたかもしれません。夏羽がまばらに生えてきています。
この雌がさらに前に進んでいきます。すると、その前方に雄がいました。両方を収めた写真が下です。つがいなんだろうな、と思います。しばらく、このままだったので、邪魔しちゃいけないと思い、そっと離れました。(十分お邪魔をしていますね)
千枚小屋でもう1泊し、次の朝、千枚岳まで登りました。下の写真は、千枚岳に着く前の日の出です。と言っても、雲があるので、少し日の出時間を過ぎていると思います。頂上めざし、急ぎます。
青空は出ていますが、朝焼けは・・・ありません。千枚岳付近で撮影した小赤石・赤石岳の山稜です。少し待ってもあまり変わらないので、戻りました。
小屋から下山します。ところどころ、展望が開けるところがあります。下の写真も、やっぱり小赤石岳・赤石岳の山稜です。天気はまたよくなってきました。
そして、長い下りを終え、ようやく椹島に到着ました。そこからは、更に長く思える林道歩きをしたんだろうと思います。椹島を出てすぐの牛首峠というところから赤石沢の向こうに赤石岳がきれいに見えます。
南アルプス、すなわち赤石山脈の盟主である赤石岳は、標高3120.5mであり、南アルプスでは北岳、間ノ岳、悪沢岳に次いで4番目の高さになります。
あとは、ひたすら林道を歩いて、駐車場まで戻り、安全運転で帰路に就きました。GW期間中でしたが、比較的空いている山旅でした。
若き日の山20 早春の鳳凰三山 ― 2026年03月14日 22:06
金峰山から下山後、タクシーで御座石鉱泉まで行きました。同じメンバー4人です。体の不調は、かなりよくなっていました。鳳凰三山の登山基地にもなっていますが、温泉でもあるので一般客と言うかお年寄りも宿泊されています。お風呂に入り、質素だが十分な夕食も摂り、明日に備えて眠りに就きました。朝食後、出発しましたが、足元には踏まれた雪があったと思います。標高1,000mちょっとの御座石鉱泉から、2,400m弱の鳳凰小屋までのコースタイムは、夏山で5~6時間です。記憶では、天気は下り坂で途中から雪が降ってきたと思います。天気が悪くて撮影しなかったのか、登るのに精一杯で撮る気にならなかったのか、その日の写真は一枚もありません。ともかく、大きな問題もなく、鳳凰小屋に到着しました。なお、鳳凰三山とは、地蔵岳、観音岳、薬師岳を指しますが、国土地理院の地図には、それぞれ地蔵ヶ岳、観音ヶ岳、薬師ヶ岳と表記されています。
翌朝は快晴です。鳳凰三山の1峰目、地蔵岳の稜線まで約300mを登ります。アイゼンがよく効いてスムーズに登れた記憶がありますが、あてになりません。「子授け地蔵」が多く置かれている稜線(賽の河原の上部)に出て、まず目に飛び込んできたのが甲斐駒ヶ岳です。いい形の山です。その奥には、北アルプスの山並みもきれいに見えます。快晴の冬の朝の醍醐味です。フィルムはエクタクロームです。
子授け信仰は、約200年以上前からあるとされているそうで、この山から地蔵1体を持ち帰ると子どもを授かり、お礼に2体(持ち帰った1体に新たな1体を加えて)を返すと子どもが健康に育つということらしいです。
地蔵岳のオベリスクに登る技術はないので、対峙してよく見える赤抜沢ノ頭に登ります。青天にそびえ立つオベリスクは、この山が神が存在する信仰の山だということに強い説得力を与えます。左側の遠景は八ヶ岳です。
地蔵岳のアップ写真です。
振り返った南西の方向には、白峰三山が眼前に迫ってきます。大樺沢はたっぷりの雪で埋まり、北岳のバットレス(胸壁という日本語が当てられています。建築用語では控え壁のことのようです)も雪が張り付いています。
デジタルカメラではないので、フイルムを節約しながら撮影したのか、残っている写真は多くありません。下の写真は、赤抜沢ノ頭から観音岳への途中で撮影した白峰三山ですが、北岳と間ノ岳の二山しか頂上は写っていません。シュカブラと呼ばれる、強い風によって形成される雪紋を手前に配置して撮影したのですが、まだまだ撮影技術が未熟でした。白旗史朗の写真集を見ているだけでは技術は上がりません。今回の写真は、正解かどうかは別にして、露出だけは意図したようになりました。
このあと、夜叉神峠まで縦走して、たぶんその日のうちに登山口に下りたのではないかと思います。鳳凰小屋から夜叉神峠登山口までの夏山標準コースタイムは8時間くらいなので可能だとは思うのですが、そんなことをしてもその日のうちに家に帰れるわけでもないのになんでなんだろう。これもはっきりしませんが、おそらく芦安温泉のどこかの宿に泊まり、次の日に甲府まで出て、帰ったのだと思います。なお、家(下宿)は名古屋でしたが、甲府からは身延線経由で静岡まで行って、新幹線に乗るのが合理的なような気がしますが、全く記憶がありません。
若き日の山19 早春の金峰山 ― 2026年03月07日 22:00
1978年の3月中旬、早春と言えどもまだ冬の様相の山に登ろうと、まずは金峰山に向かいました。メンバーはいつもの相棒を含む4人だったと思います。交通が不便だった時代のこの季節、どうやって登山口まで行ったか覚えがありません。おそらく、韮崎駅から終点増冨ラジウム鉱泉までバスで行き、そこから現地にいたタクシーで瑞牆山荘まで行ったのではないかと思いますが、定かではありません。ひょっとしたら、ラジウム鉱泉から歩いたかもしれません(距離は約13kmのようです)。瑞牆山荘からは、その日は富士見平小屋まで行ったと思います。富士見平へ行く途中、瑞牆山がよく見えるところがあったようで、写真が残っていました。独特の岩峰の頂がよく見えました。フィルムはエクタクロームです。
翌日、金峰山を目指して、大日岩経由で登りました。4か月前に金峰山は登りましたが(若き日の山15)、こちらのコースは初めてです。写真を撮り飽きたのか、疲れて写真どころじゃなかったのか、頂上まで撮影がまったくありません。天気が良かったので、頂上に着いてもまだ南アルプス(北部)がきれいに見えていました。まず、金峰山のシンボルである五丈岩とともに白峰三山の撮影です。4か月前と同様に、偏光フィルターを使用しています。
金峰山は通常は「きんぷさん」と呼んでいます。長野では「きんぽうさん」と呼ぶらしく、また大相撲の力士の金峰山は「きんぼうざん」と言うそうです。
上の写真よりもう少し北側にカメラを振って甲斐駒・仙丈を入れた写真が下になります。
下の写真は、レンズを変えて撮影した白峰三山です。
次の写真は、八ヶ岳連峰です。
眺望を堪能した後、富士見平小屋に戻りました。小屋に戻った後、体の不調をきたし、食欲がなくなり、飲み物ばかり飲んだ記憶があります。次の日、同行者3人は瑞牆山に登ったと思いますが、私は小屋で一人寝ていました。3人が戻ってきた後、その日のうちに下山したように思いますが、翌朝下山だったかもしれません。記憶は曖昧です。なお、下山と言っても、この後、南アルプスの鳳凰三山を縦走する予定でしたので、中央本線のどこかの駅だったと思います。また、4人での山行だったので、学生と言えどもタクシーに乗るのはそれほど怖くはありませんでした。いずれにしても、ゆっくり温泉に入って休むことと、次の縦走のアプローチを兼ねて、御座石鉱泉に宿泊しました。今はもう営業をしていないようです。
南アルプスから見る富士山 ― 2026年02月07日 21:50
富士山はどこから見ても、また誰が見てもそれとわかる山だと思います。ここでは、富士山に比較的近い南アルプスに登った時に撮影した富士山の写真を中心にアップしたいと思います。写真はいずれもリバーサルで撮影したものをデジカメ-マクロレンズでデジタル化しています。「35㎜スライドのデジタル化」(2025/6)の記事をご参照ください。
撮影した順、すなわち登ったのが早い順に紹介いたします。まず、「若き日の山3」で書きました1977年のGWに登った南アルプス南部の茶臼岳からの富士山です。
高い空に薄い雲が出ていましたが、逆にそれが優しい富士山の風景になったと思います。
次は、「若き日の山4 塩見岳」の山行で前小河内岳あたりから撮影した富士山です。
雲海の向こうに富士山があった、という程度の写真なのに、なんとなく写真になったと思わせるのが富士山の魅力です。
次は、北岳付近からの富士山です。「若き日の山5 北岳・間ノ岳」での撮影です。幾重にもなる山並みの向こうに富士山がそびえています。
空に雲がなければ、とも思うのですが、各山並みの谷側にモヤがかかり、山の端(やまのは)の方が比較的明瞭になるグラデーションがうまい具合に掛かっているためには、この気象条件が必要だったのでしょう。なお、富士山の左手前に見える山並みは櫛形山のなだらかな稜線ですが、これを「クジラの背のような」と表現したのは、私の記憶では、写真になりにくい南アルプスの山岳写真のパイオニアとも言える白旗史朗さんだったと思います。
次の写真は、悪沢岳からの富士山であり、「若き日の山12 荒川三山・赤石岳」での撮影です。
秋の天気のいい日でした。富士山から南の方角に雲がたなびいています。
次は、南アルプスではありませんが、金峰山から撮影した富士山です。「若き日の山15 初冬の金峰山 」での撮影です。
輝く雲海と、富士山頂上付近の雪の輝き、くらいしか説明が思い浮かびません。
次の写真は、塩見岳頂上から撮影した富士山です。これはまだブログに載せていない山行での撮影です。1979年の初秋の頃だと思います。
この写真も幾重にもなる山並みがきれいです。一番手前は塩見岳から東南の方向に延びる蝙蝠岳の稜線です。
次の写真は、北岳肩の小屋からの夜明けの富士山です。北岳の山肌にも光が当たり、富士山との間には、まさに雲の海が白く広がっています。
1984年7月に草すべりコースから肩の小屋に入り、北岳と間ノ岳に登りました。1日目は小雨が降っていましたが、翌日には晴れてくれました。
最後の写真は、「若き日の山13(その2) 赤石岳」でも載せた千枚岳の少し下からの富士山です。
以上、やはりどこから見ても富士山です。
若き日の山18 冬の聖岳 ― 2026年01月14日 21:34
冬の北岳山行の翌年、すなわち1980年の正月山行は同じく南アルプスの聖岳です。同行者はいつもの相棒です。入山口は、大井川の畑薙大吊橋です。若き日の山3で登った上河内岳の時と同じ入山ルートです。年末年始なので、大井川鉄道の臨時列車や畑薙第一ダムまでの臨時バスもあったと思います。例によって、記憶が薄れ、記録もなく、いつ、とこで、の情報がかなり欠落していますが、ご了承ください。
朝、畑薙第一ダムに着いたのは間違いないです。1泊目がどこだったか、まあ、あまり重要な事項ではないので推測で書けば、横窪沢小屋だと思います。調子が良ければ、茶臼小屋まで行っていたと思います。上河内岳までは以前行っているので様子はわかりますが、雪の質・量と気温が大きく異なります。ただ、トレールはあるのでそんなに苦労した記憶はありません。そして、2日目か3日目かはわかりませんが、聖平に到着し、幕営しました。
ここまでの写真がありません。今のデジカメとは違い、フィルム代も現像代もかかりますので、撮影を控えたのか、歩くのに一生懸命で撮影まで気が回らなかったのか、もう撮影に飽きたのか、あるいは残っているもの以外廃棄してしまったのか、理由はわかりません。ともかく、最初に撮影したのが、聖平からピストンで聖岳に登るときの小聖岳の少し手前から撮影した聖岳の写真(下)のようです。
雪は多くはなく、夏道が出ているところもありました。でも雪があるところ、氷結しているところもあるのでアイゼンは装着したままです。とにかく、風が強かったのを覚えています。アイゼンの引っ掛けによる転倒だけには注意してゆっくり登り、頂上に到着しました。頂上付近は強風により形作られたシュカブラという雪の風紋が見られます。下の写真は、そのシュカブラを撮影したものですが、遠景に中央アルプスや御嶽山と思われる山も望めます。右の中景は、中盛丸山、大沢岳の稜線です。
そして、赤石山脈とも呼ばれる南アルプスの主峰赤石岳が北にそびえています。赤石岳の左手奥は仙丈ケ岳ですね。素晴らしい天気です。
下の写真は、南の方角、上河内岳から茶臼岳の稜線です。
そして、頂上付近での記念写真です。顔がわからないと思うのでアップしました。風が強く、寒かったです。
帰路は、聖平から西沢渡、易老渡に下りて、国道152号線のバス停まで歩いたと思います。今でこそ、易老渡と西沢渡の中間の便ヶ島というところまでタクシーが入れるようですが、当時は易老渡から北又渡、さらに遠山川沿いに152号線の本谷口というバス停まで歩いた記憶があります(バスで国鉄飯田線平岡駅まで行った)。食料はほぼなくなったとはいえ、冬山装備一式とテント・外張りを含めて下山時も結構重いザックを背負っていました。確か足の裏の皮がべろんとむけていたと思います。
なお、本格的な冬山登山はこれが最後でした。
若き日の山17 冬の北岳 ― 2026年01月12日 17:22
翌年の冬、すなわち大学4年の冬に行ったところは北岳です。日程はちょっと記憶にありませんし、写真にも日付の記録がないのではっきりとはしませんが、「普通に」12月の末に入山し、正月を稜線で迎えたと思います。塩見岳と同様に相棒と2人です。
積雪期の北岳の登山口は、今もそうだと思いますが野呂川の右岸にある県道37号線(南アルプス公園線)のあるき沢橋になります。そこから池山吊尾根経由で八本歯コルから登ります。あるき沢橋までどのように行ったか、これも記憶が曖昧ですが、合理的なのは奈良田までバスで行って、そこからタクシーで行けるところまで行く(当時は奈良田にタクシー会社があったような)、ということになると思います。
あるき沢橋には午前には着いたと思います。そこから池山吊尾根のルートを辿ります。その日は、池山御池小屋ではなく、その少し先の林の中でテントを張ったような記憶がありますが、定かではありません。翌朝、近くを歩く人の物音で目を覚まし、それから行動開始したような記憶があります。樹林帯を抜けたあたりでアイゼンを付けたと思います。そして、ボーコン沢の頭あたりで前が開け、北岳とその岩場(バットレス)が目に飛び込んできます(下の写真)。バットレスとは日本語では胸壁と言うそうです(建築用語では控え壁という意味があるようです)。
この時は、カメラに白黒フィルムを入れていました。コダックのプラスXだと思います。もう少し前に出て、レンズを変えての撮影が下の写真です。
ボーコン沢の頭付近の風がしのげる窪地にテントを張りました。雪のブロックを切り出して積み上げ、風防にしました。距離的にも、写真の光線の加減からも午前中にはこのボーコン沢の頭に着いていると思いますが、天気のいいこの日のうちに北岳にピストンしたのか、この日はここまでとして次の日に登頂したのか全く覚えがありません。ともかく、八本歯コルも無難に通過して北岳山頂に立ったと思います。北岳の山頂付近から撮影した間ノ岳や南の山々の写真が下になります。右手奥に1年前に登った塩見岳が見えます。
光線からは明らかに午後だとわかります。この山行ではあまり写真を撮らなかったのか、デジタル化する前に捨ててしまったのか、ともかく写真がこの3枚と、稜線で相棒と撮った記念写真(プリント)、そして相棒からもらった登山前のあるき沢橋での記念写真(スライド)1枚のみしか残っていませんでした。
下山もあまり覚えがなく、おぼろげな記憶では、あるき沢橋に戻ったのが夕方だったような気がするので、林道(県道)脇でテントを張ったのではないかな。そして翌朝、奈良田まで歩いて、バスで国鉄の駅(たぶん身延)へ出たと思います。ともかく、目標は達成できた山行でした。
若き日の山16 冬の塩見岳 ― 2026年01月01日 00:12
大学3年の時、6月に塩見岳に登りました(若き日の山4)。そして最初の冬山登山に選んだのもこの塩見岳です。同じ年の年末に長野県の塩川土場から登り始めます。正月登山です。ちなみに、同級のいつもの相棒との2人での山行です。このときの天気はちょっと記憶にないですが、どちらかというと悪かったような気がします。下から雪はありましたが、南アルプスなのでそんな量でもないし、シーズンなので先行者がいるし、歩くのには全く問題はなかったと思います。ただ、冬山装備で荷物は重かった。何時に登り始めて何時に着いたのかも覚えていませんが、ともかく三伏峠に到着し、適当なところにテントを張りました。夜、みぞれが降っていた記憶がありますが、あてになりません。
次の日は、山頂を目指さず、付近を散策したと思います。まず、いつもの三伏沢の方に降りて塩見岳を撮影します。雲は多いですが、山には太陽が当たり、輝いていました。フィルムはエクタクロームだと思います。
少し場所を変えて撮影。
峠の方に戻っての撮影。手前の山は三伏山でしょうか。頂上付近に登山者が2名います。
こちらはいつどこから撮ったか覚えがありません。蝙蝠岳かな?
以下は造形の写真。
最後の写真は、一定方向からの風によって霧氷が木々等に成長し、まるで海老の尻尾のような形状になるもので、冬山ではよく見かけます。
塩見岳への登頂は翌年1月2日だったと思いますが、なぜか頂上での山の写真がありません。頂上にいたときは天気が良かったと思います。記憶では、天気が下り坂とのことで、三伏峠まで下りた後、テントを撤収して塩川の営業している小屋まで下山したと思いますが、ちょっと自信がありません。
と、書いていたら年が明けました。今年はいい年でありますように。
若き日の山15 初冬の金峰山 ― 2025年11月23日 21:31
1977年の今頃、メインルートではなく、その名前に惹かれて水晶峠を経由して、金峰山に登りました。相棒と2人です。たぶん甲府駅から黒平(くろべら)というところ(登山口)までタクシーで行きましたが、タクシーの運転手も道がよくわからず、地元の人に聞きながらなんとか到着しました。ただ、迷っている間もメーターが回っていたので、ぼったくられた感じが残っています。
ともかく、誰とも会わない道を歩き、水晶峠を越えて、当時はまだ使用可能だった御室小屋で1泊しました。明け方、かなり冷え込んで、食料の大根が凍っていたのを覚えています。
冷え込みが強いだけあり、空はすっきり晴れ渡っています。何時ころか忘れましたが、金峰山頂上(標高2595m)に着いたときも雲一つないいい天気です。上部に雪をまとった南アルプスをこの距離でこれほどきれいに見たことはありません。最初の写真は、偏光フィルター無しで撮影したものです。フィルムはエクタクロームだったと思います。
偏光フィルターを装着して撮影すると、さらにコントラストが付いてすっきりと写ります。太陽の方向が、フィルターの効果が一番出る角度だったようです。左に白根三山、中央に仙丈・甲斐駒、そして右の奥には中央アルプスの山並みも明瞭に見えます。甲府盆地には少しもやがかかっているので、麓から見上げても南アルプスは霞がかかって見えると思います。
目を少し北に向け、手前に瑞牆山、遠景左に八ヶ岳、右には遠く北アルプスの山々も認識できます(爺ヶ岳や鹿島槍ヶ岳など後立山連峰)。
富士山は下のような感じです。上には雲はありませんが、下にはありました。
この後は、たぶん富士見平の方に下山したと思います。なかなか気持ちの良い山行でした。


































































