南アルプスから見る富士山2026年02月07日 21:50

富士山はどこから見ても、また誰が見てもそれとわかる山だと思います。ここでは、富士山に比較的近い南アルプスに登った時に撮影した富士山の写真を中心にアップしたいと思います。写真はいずれもリバーサルで撮影したものをデジカメ-マクロレンズでデジタル化しています。「35㎜スライドのデジタル化」(2025/6)の記事をご参照ください。
撮影した順、すなわち登ったのが早い順に紹介いたします。まず、「若き日の山3」で書きました1977年のGWに登った南アルプス南部の茶臼岳からの富士山です。

茶臼岳付近からの富士山

高い空に薄い雲が出ていましたが、逆にそれが優しい富士山の風景になったと思います。
次は、「若き日の山4 塩見岳」の山行で前小河内岳あたりから撮影した富士山です。

前小河内岳付近から見る富士山

雲海の向こうに富士山があった、という程度の写真なのに、なんとなく写真になったと思わせるのが富士山の魅力です。
次は、北岳付近からの富士山です。「若き日の山5 北岳・間ノ岳」での撮影です。幾重にもなる山並みの向こうに富士山がそびえています。

北岳付近からの富士山

空に雲がなければ、とも思うのですが、各山並みの谷側にモヤがかかり、山の端(やまのは)の方が比較的明瞭になるグラデーションがうまい具合に掛かっているためには、この気象条件が必要だったのでしょう。なお、富士山の左手前に見える山並みは櫛形山のなだらかな稜線ですが、これを「クジラの背のような」と表現したのは、私の記憶では、写真になりにくい南アルプスの山岳写真のパイオニアとも言える白旗史朗さんだったと思います。
次の写真は、悪沢岳からの富士山であり、「若き日の山12 荒川三山・赤石岳」での撮影です。

悪沢岳からの富士山

秋の天気のいい日でした。富士山から南の方角に雲がたなびいています。
次は、南アルプスではありませんが、金峰山から撮影した富士山です。「若き日の山15 初冬の金峰山 」での撮影です。

金峰山からの富士山

輝く雲海と、富士山頂上付近の雪の輝き、くらいしか説明が思い浮かびません。
次の写真は、塩見岳頂上から撮影した富士山です。これはまだブログに載せていない山行での撮影です。1979年の初秋の頃だと思います。

塩見岳からの富士山

この写真も幾重にもなる山並みがきれいです。一番手前は塩見岳から東南の方向に延びる蝙蝠岳の稜線です。
次の写真は、北岳肩の小屋からの夜明けの富士山です。北岳の山肌にも光が当たり、富士山との間には、まさに雲の海が白く広がっています。

北岳肩の小屋からの富士山

1984年7月に草すべりコースから肩の小屋に入り、北岳と間ノ岳に登りました。1日目は小雨が降っていましたが、翌日には晴れてくれました。
最後の写真は、「若き日の山13(その2) 赤石岳」でも載せた千枚岳の少し下からの富士山です。

千枚岳付近からの富士山

以上、やはりどこから見ても富士山です。

ミラノ・コルティナオリンピック2026年02月05日 17:42

イタリア在住の友人のブログに、「オリンピックの開会式でまだ1万席分が空席、チケットを1席分の値段で2席分を特売」が新聞のトップ記事だったと記載されていました。
開会式のスタジアムは、サッカーで有名なジュゼッペ・メアッツァ(ACミラン関係者およびそのサポーターはサンシーロと呼んでいるはず)なので、8万人ほど収容できると思われます。実質半額での販売ですが、友人はスーパーの閉店間際惣菜半額特売に例えていました。すでに買った人から苦情がでないのでしょうか?
昔、子供のころ甲子園に阪神巨人戦を親と見に行ったことがあり、その時いわゆるダフ屋から通常より高いチケットを買った記憶がありますが、試合開始時間が近づくにつれ、値が下がっていたと思います。試合が始まったら、正規価格より安く売っていたんではないかと想像しますが、まあ、これはダフ屋だからありなんだと思います。
あと、2002の日韓サッカーのとき、3試合のチケットを事前に買ったのですが、チケット完売、と言いながらも実際に当日はメイン側のいいところに空席が目立っていたのを憶えています。招待チケットをもらったけど観戦に行かなかった偉い人がいたのかな、とひねくれた見方をしたものです。また、日本の大阪万博もそうでしたが、開会になってもまだ工事が完了していない事態は、このオリンピックでもあるようです。
ともかく、私はスポーツ観戦自体は好きなので、日本人の活躍を楽しみにしています。
オリンピックの期間中に、日本では衆議院選挙がありますが、報道(ワイドショー)を見る限り、自民というか高市早苗(首相)が何故か人気が高く、どうも楽に過半数を超える勢いとのことです。私にはこの現象が信じられません。
今回は写真のない、とりとめのない記事になってしまいましたが、次回からまた写真をアップしたいと思います。

ダーウィンが来た! イスカ2026年01月19日 22:13

1月18日のNHKの番組「ダーウィンが来た!」に嘴に特徴のある野鳥のイスカが取り上げられていました。つい先日、このブログにもたまたまイスカを記事にしていたので、もう一度、嘴の写真を見直して、アップしたいと思います。
番組では、
1)栄養豊富な松の実を主な餌とし、閉じた松かさをこじ開けて食べることができるように嘴が交差している
2)松の実が豊富な冬季に子育てをする
ことを中心に、その映像とともに紹介されていました。
嘴が交差しているとは、先の記事でも書きましたが、上下のくちばしが互いに左右にずれているということです。雄雌別に、下に写真を載せますが、鳥から見て上の嘴が右になっているものを「上右」、左になっているものを「上左」と名付けました。レンズは、いわゆる大砲ではなく、300ミリに1.4倍のテレコンバーターを付けて手持ちで撮っているので、解像度はそんなに良くはありませんが、ご了承ください。

まずは、雄の「上左」です。
嘴 上左 オス

そして、雄の「上右」です。
嘴 上右 オス

次に雌の「上左」
嘴 上左 メス

そして雌の「上右」
嘴 上右 メス

過去に撮ったイスカの写真をざっと眺めてみましたが、左右どちらが多い、ということはなさそうであり、また、雌雄でも差がないように思います。
最後の写真には、幼鳥も写っていますが若干「上右」の兆候が出ているように見えます。
生まれてしばらくは交差していないらしく、必要になる頃(2週間程度?)には交差が始まるとのことです。この幼鳥を撮影したのは2月なので、確かに冬に子育てをしています。
幼鳥の写真は何枚かあるので、もうちょっと幼鳥の嘴の交差を調べてみようと思います。

小春日和と昆虫2026年01月16日 23:00

今日は暖かい一日でした。冬の暖かい日なので、小春日和と呼びたいですが、本来、「小春日和」は晩秋から初冬、すなわち、11月からせいぜい12月の初旬までの春のような暖かい日を指すということです。春らしく、黄砂まで飛んできました。
昨日と同様の服装でウォーキングに出かけましたが、やはり少し汗ばんで、上着の前のファスナーを開けて歩くことになりました。そんな中、このところ見かけなかった蝶やバッタに遇うことができました。
まずは、ウラギンシジミです。翅の裏が銀色のシジミ蝶です。結構、活発に飛翔していました。道路わきの草に止まったのでスマホで撮影しようとしたところで飛ばれてしまいました。翅の表(翅を開いた時に見える方)に白っぽい紋があるので、メスのようです。ウラギンシジミは成虫で越冬します。冬は通常は葉の裏に止まってじっとしているらしいですが、やはり非常に暖かかったので、飛び出したのだと思います。なお、蝶は1頭、2頭、と数える習慣があります。家畜としてのうさぎを1羽、2羽と数えるように、その由来には理由があるようなので、興味のある方は調べてみてください。

次に見たのはクビキリギスというバッタです。道路の端でじっとしていたので、スマホで簡単に撮影できました。

道路に出てきたクビキリギス

クビキリギスも成虫で越冬し、普段は冬眠していますが、暖かいと春と勘違いして出てくるようです。夕暮れまでに安全なところに戻ってまた冬眠してくれるといいのですが。

今日、最後に見たのはキタテハという蝶です。これも成虫で越冬します。やはり、暖かいので元気に飛び回っていました。
明日も暖かい予報です。連日の暖かさに、もっと昆虫が出現するかもしれません。虫が嫌いでない方は、ウォーキング中などに畑や原っぱ、道路脇を見てみて下さい。

若き日の山18 冬の聖岳2026年01月14日 21:34

冬の北岳山行の翌年、すなわち1980年の正月山行は同じく南アルプスの聖岳です。同行者はいつもの相棒です。入山口は、大井川の畑薙大吊橋です。若き日の山3で登った上河内岳の時と同じ入山ルートです。年末年始なので、大井川鉄道の臨時列車や畑薙第一ダムまでの臨時バスもあったと思います。例によって、記憶が薄れ、記録もなく、いつ、とこで、の情報がかなり欠落していますが、ご了承ください。
朝、畑薙第一ダムに着いたのは間違いないです。1泊目がどこだったか、まあ、あまり重要な事項ではないので推測で書けば、横窪沢小屋だと思います。調子が良ければ、茶臼小屋まで行っていたと思います。上河内岳までは以前行っているので様子はわかりますが、雪の質・量と気温が大きく異なります。ただ、トレールはあるのでそんなに苦労した記憶はありません。そして、2日目か3日目かはわかりませんが、聖平に到着し、幕営しました。
ここまでの写真がありません。今のデジカメとは違い、フィルム代も現像代もかかりますので、撮影を控えたのか、歩くのに一生懸命で撮影まで気が回らなかったのか、もう撮影に飽きたのか、あるいは残っているもの以外廃棄してしまったのか、理由はわかりません。ともかく、最初に撮影したのが、聖平からピストンで聖岳に登るときの小聖岳の少し手前から撮影した聖岳の写真(下)のようです。

小聖岳手前からの聖岳

雪は多くはなく、夏道が出ているところもありました。でも雪があるところ、氷結しているところもあるのでアイゼンは装着したままです。とにかく、風が強かったのを覚えています。アイゼンの引っ掛けによる転倒だけには注意してゆっくり登り、頂上に到着しました。頂上付近は強風により形作られたシュカブラという雪の風紋が見られます。下の写真は、そのシュカブラを撮影したものですが、遠景に中央アルプスや御嶽山と思われる山も望めます。右の中景は、中盛丸山、大沢岳の稜線です。

聖岳頂上付近のシュカブラと中央アルプス

そして、赤石山脈とも呼ばれる南アルプスの主峰赤石岳が北にそびえています。赤石岳の左手奥は仙丈ケ岳ですね。素晴らしい天気です。

聖岳からの赤石岳

下の写真は、南の方角、上河内岳から茶臼岳の稜線です。

聖岳から南方上河内岳方面を望む

そして、頂上付近での記念写真です。顔がわからないと思うのでアップしました。風が強く、寒かったです。

聖岳頂上での記念写真

帰路は、聖平から西沢渡、易老渡に下りて、国道152号線のバス停まで歩いたと思います。今でこそ、易老渡と西沢渡の中間の便ヶ島というところまでタクシーが入れるようですが、当時は易老渡から北又渡、さらに遠山川沿いに152号線の本谷口というバス停まで歩いた記憶があります(バスで国鉄飯田線平岡駅まで行った)。食料はほぼなくなったとはいえ、冬山装備一式とテント・外張りを含めて下山時も結構重いザックを背負っていました。確か足の裏の皮がべろんとむけていたと思います。
なお、本格的な冬山登山はこれが最後でした。

若き日の山17 冬の北岳2026年01月12日 17:22

翌年の冬、すなわち大学4年の冬に行ったところは北岳です。日程はちょっと記憶にありませんし、写真にも日付の記録がないのではっきりとはしませんが、「普通に」12月の末に入山し、正月を稜線で迎えたと思います。塩見岳と同様に相棒と2人です。
積雪期の北岳の登山口は、今もそうだと思いますが野呂川の右岸にある県道37号線(南アルプス公園線)のあるき沢橋になります。そこから池山吊尾根経由で八本歯コルから登ります。あるき沢橋までどのように行ったか、これも記憶が曖昧ですが、合理的なのは奈良田までバスで行って、そこからタクシーで行けるところまで行く(当時は奈良田にタクシー会社があったような)、ということになると思います。
あるき沢橋には午前には着いたと思います。そこから池山吊尾根のルートを辿ります。その日は、池山御池小屋ではなく、その少し先の林の中でテントを張ったような記憶がありますが、定かではありません。翌朝、近くを歩く人の物音で目を覚まし、それから行動開始したような記憶があります。樹林帯を抜けたあたりでアイゼンを付けたと思います。そして、ボーコン沢の頭あたりで前が開け、北岳とその岩場(バットレス)が目に飛び込んできます(下の写真)。バットレスとは日本語では胸壁と言うそうです(建築用語では控え壁という意味があるようです)。

ボーコン沢の頭付近からの北岳

この時は、カメラに白黒フィルムを入れていました。コダックのプラスXだと思います。もう少し前に出て、レンズを変えての撮影が下の写真です。

北岳バットレス

ボーコン沢の頭付近の風がしのげる窪地にテントを張りました。雪のブロックを切り出して積み上げ、風防にしました。距離的にも、写真の光線の加減からも午前中にはこのボーコン沢の頭に着いていると思いますが、天気のいいこの日のうちに北岳にピストンしたのか、この日はここまでとして次の日に登頂したのか全く覚えがありません。ともかく、八本歯コルも無難に通過して北岳山頂に立ったと思います。北岳の山頂付近から撮影した間ノ岳や南の山々の写真が下になります。右手奥に1年前に登った塩見岳が見えます。

北岳からの南の展望

光線からは明らかに午後だとわかります。この山行ではあまり写真を撮らなかったのか、デジタル化する前に捨ててしまったのか、ともかく写真がこの3枚と、稜線で相棒と撮った記念写真(プリント)、そして相棒からもらった登山前のあるき沢橋での記念写真(スライド)1枚のみしか残っていませんでした。
下山もあまり覚えがなく、おぼろげな記憶では、あるき沢橋に戻ったのが夕方だったような気がするので、林道(県道)脇でテントを張ったのではないかな。そして翌朝、奈良田まで歩いて、バスで国鉄の駅(たぶん身延)へ出たと思います。ともかく、目標は達成できた山行でした。

若き日の山16 冬の塩見岳2026年01月01日 00:12

大学3年の時、6月に塩見岳に登りました(若き日の山4)。そして最初の冬山登山に選んだのもこの塩見岳です。同じ年の年末に長野県の塩川土場から登り始めます。正月登山です。ちなみに、同級のいつもの相棒との2人での山行です。このときの天気はちょっと記憶にないですが、どちらかというと悪かったような気がします。下から雪はありましたが、南アルプスなのでそんな量でもないし、シーズンなので先行者がいるし、歩くのには全く問題はなかったと思います。ただ、冬山装備で荷物は重かった。何時に登り始めて何時に着いたのかも覚えていませんが、ともかく三伏峠に到着し、適当なところにテントを張りました。夜、みぞれが降っていた記憶がありますが、あてになりません。
次の日は、山頂を目指さず、付近を散策したと思います。まず、いつもの三伏沢の方に降りて塩見岳を撮影します。雲は多いですが、山には太陽が当たり、輝いていました。フィルムはエクタクロームだと思います。

三伏沢付近からの塩見岳

少し場所を変えて撮影。

三伏沢付近からの塩見岳2

三伏沢付近からの塩見岳3

峠の方に戻っての撮影。手前の山は三伏山でしょうか。頂上付近に登山者が2名います。

三伏峠付近からの塩見岳

こちらはいつどこから撮ったか覚えがありません。蝙蝠岳かな?

蝙蝠岳?

以下は造形の写真。

冬山の朝

雪原の足跡

エビの尻尾

最後の写真は、一定方向からの風によって霧氷が木々等に成長し、まるで海老の尻尾のような形状になるもので、冬山ではよく見かけます。
塩見岳への登頂は翌年1月2日だったと思いますが、なぜか頂上での山の写真がありません。頂上にいたときは天気が良かったと思います。記憶では、天気が下り坂とのことで、三伏峠まで下りた後、テントを撤収して塩川の営業している小屋まで下山したと思いますが、ちょっと自信がありません。
と、書いていたら年が明けました。今年はいい年でありますように。

冬の野鳥2 イスカ(その2)2025年12月30日 21:10

2015年の冬は信州中央部の林道に初めて行きました。2月で車はすでに通行止めになっていましたが、スノーモービルが積雪のある道路を行ったり来たりしていて、樹上に野鳥を見つけても降りてくる気配はありません。なお、あとで調べたらスノーモービルは一般道路は通行できないようなので、遠慮する必要はなかったです。
昼を過ぎてもう帰ろうと入口の方に戻っていくと赤い鳥が数羽飛び交っています。イスカです。

最初に目に入ったイスカ

遠くへ行かずに1本の木の枝から枝へ飛んでいる雄がいました。それなりに撮れた飛びものは、この後ろ姿だけです。

枝から枝へ

そして、まったりしてアクティブではなくなりました。帰る時間もあり、ここの大体の様子がわかったのでこの時は(この年は)ここまでの撮影でした。

まったり

翌2016年の2月、同じところに行き、一通り冬鳥を撮影して帰ろうとしたら、また入り口近くでイスカを発見。写真を撮って拡大すると、右は赤い雄、左は・・・、んー、グレーっぽい縞々。どうもこれがイスカの幼鳥のようです。初めて見ました。

右は♂左は?

別の写真を引き伸ばすと、交差する嘴と縞々模様がよくわかります。

引き伸ばし写真 幼鳥?

このときは、これ以上の写真を撮ることはできませんでした。
調べてみると、イスカは冬に繁殖することが多いらしい。餌となる松の実がなったあとに子育てをするためで、その地域や松の種類により異なる実り具合により繁殖時期を調節する能力があるとのことです。従って、冬鳥として日本でも繁殖する場合もあるし、場所によっては夏も留まることもあるようです。
ちょうど1年後にもここを訪れました。そして、また幼鳥を見ることができました。羽の色を除けば、形は大人とそんなに変わりはありません。

1年後にも幼鳥がいました

近いところの枝のこちらに止まってくれました。

いいところにきてくれた

ファッションショーのように回ってくれます。

バックスタイル

道路脇にまで来てくれます。

さらに近いところに

そして木に戻ると母親がやってきて、給餌をしました。やはり幼鳥です。

枝に戻ると母親が来て

ちょっと角度が悪かったようで、口元が見えません(残念)。

給餌

こぼれた餌でも舐めているのでしょうか。

こぼれた餌を舐めている?

近くにいたので、これが父親なのだと思いました。

たぶん父親

その年の11月の末に訪れた時の写真です。群れが飛んできてこの松の木に止まりました。

群れの木どまり

1ヶ月後に再度行ったときは、雄雌をアップで撮影できました。

近いところに雄

近いところに雌

最後は、河口湖近くの有料で観察できるところから遠くないところの林で撮影したものです。2018年の5月です。いつもいるわけではありませんが、声を頼りにすれば見ることが可能です。

カラマツの新芽で採餌

そして2021年の5月、すぐそばの別の池のある公園で、水飲みに来るイスカの写真です。まずは、雌です。先にいたビンズイが威嚇していますが、意に介しません。

水飲みに降りたイスカとビンズイ

次に、雄2羽がやってきました。

水飲みの雄2羽

雌がもっと近いところに来ました。

水飲みの雌

以上、2009年に初見して以来、比較的あちこちで見ることができたと言えます。人をあまり恐れない、声を出してくれる、梢など見やすいところに止まる、などが理由と思います。もう一つ、あちこちを歩き回った、というのも大きな理由だと思います。

冬の野鳥2 イスカ(その1)2025年12月27日 22:47

冬の渡り鳥でオオマシコとともにバーダーに人気のある赤い鳥はイスカです。漢字では交喙と書くようで、交わったくちばしという意味だそうです。以下の写真をアップで見ていただけるとわかりますが、まさに上下のくちばしがずれていて交差しています。この鳥を最初に見たのは、2009年の1月です。バードウォッチングを始めて2年目くらいです。正月明けに山中湖近くの有名な水場で撮影していた午後、その場にいた二人組のおじさんバーダーと話していて(自分も十分おじさんでした)、「この辺りにはイスカがいるけど、行動範囲が広くてなかなか見れない。松林があるところならどこでも可能性がある」と聞いてへー、じゃあちょっとそういう目で探してみるか、と思ったものでした。すると、その1週間後、富士山の吉田口登山道近くで、あまり聞き慣れない鳴き声で飛ぶ野鳥の群れがいて、見ていると近くの松の木のてっぺんあたりに止まりました。望遠レンズで覗いてみるとイスカ(3羽とも♂)ということがわかり、感激しましたが、思ったよりあっけなかったな、と思ったものでした。なお、このときはまだエントリーモデルデジカメとズームレンズ+テレコン(マニュアルフォーカス)だったので、明瞭には写っていません。

初めてのイスカ

その年の5月にもその近くで昼食中にそばにイスカが来ましたが、急だったのでうまく撮影できませんでした。ちゃんとカメラに収められたのは、翌年2010年の5月最初にやはり河口湖近くの有料で野鳥観察ができるところです。池のあるところです。ここでイスカも見られるということはまだそんなに知られていなかったのではないかと思います。この日、ここの管理人さんと思われる人と話をし、「イスカが来ているよ」とおっしゃったので、「はい、しっかり見ました」とお答えしました。
このときはカメラもハイアマチュアモデル(撮像素子はAPSサイズ)、レンズも単焦点300mm(+必要により純正テレコン)と新しくなっています。イスカ独特の鳴き声が聞こえて上を見上げると、カラマツの新芽にイスカ(♂)が止まっています。

カラマツに止まるイスカ

下の方に降りてきた♀です。この日は、他にカメラマンはいませんでした。

水場に降りてくるイスカ♀

♂も降りようとこちらをうかがっています。

こちらを見下ろすイスカ

なお、イスカは冬の渡り鳥とされていますが、実際には5月だけでなく、通年いるという話も聞きます。ヒタキ科の冬鳥の代表格ジョウビタキも最近は夏に日本で繁殖しているようで、私も7月に幼鳥を見ました。
次の観察地は山梨県中東部の林道です。翌2011年の1月、林道を歩くと間もなく例の鳴き声が聞こえます。カメラマンも結構いました。松の木の上の方で松ぼっくりをつついているのが見えます。ほぼ真上なので、撮影には首が疲れます。

松ぼっくりを食べるイスカ

松の実をうまく取り出し、カスは落とすようです。

食事中のイスカ

松ぼっくりを咥えて移動します。

松ぼっくりを咥えて飛ぶ

次は、最初にイスカを見た場所より西側でもう少し標高の高いところです。細い小径を歩いていると、やはり独特の鳴き声が聞こえました。下の道に水溜りができているようで、安全が確認できるまで上で待機しています。

林道の水たまりの上で待機

ファーストペンギンならぬファーストイスカが降りようとうかがっています。このあと、何羽かが水溜りに降りてきましたが、ちょっと陰になったりして、写真はうまく撮れませんでした。

水たまりに降りるぞ

次の場所は、富士山の静岡県側の須走です。車を道路わきに停めて、小径を少し歩いていると、イスカがいることがわかり、観察していると♂が松ぼっくりを咥えて顔を出しました。

須走側にいたイスカ

以下の写真は、河口湖近くの有料で野鳥観察ができるところに2014年の4月後半に行った時のものです。この日も、たまたま他にカメラマンはいませんでした。まずは、多くのイスカが池に降りてきたところです。

池で水を飲むイスカ

枝どまりの♂です。少し位置を変えて撮影しています。

枝で待機

池に降りる直前です。

枝で待機2

池に降りる直前の♀です。

枝で待機♀

池の見えるところに位置を変えての撮影です。

水場に降りた♀

この頃になるとこの場所もイスカが撮影できるところと知られるようになっていたと思います。なお、この場所はその後、カメラマンが木を切ったりといった様なマナー違反というか、もはや犯罪が起こったようで、2021年頃から、野鳥観察禁止になったようです。本当に悲しいことであり、残念です。
後編は、2015年以降の撮影をご紹介する予定です。

小諸城址 懐古園2025年12月21日 22:31

浅間山外輪山登山の次の日、朝食を早めに終え、小諸城址懐古園に行きました。入場無料となる9時より前です。専用駐車場はありますが、JRを挟んだ東側(大手門のあるところ)に2時間まで無料の市営駐車場があったのでそちらに停めます。JRの下をくぐる地下道があるので、簡単に懐古園の入り口である三の門に行けます。

懐古園三の門

二の丸跡、黒門橋を過ぎると懐古神社の鳥居に着きます。ここには、「小諸城址」という石門柱や「本丸跡」という標示板もあります。小諸城の本丸のあったところに懐古神社を建立したということでしょうか。なお、小諸あたりには若いころはスキーの帰りに、近年も湯ノ丸や軽井沢近辺に来たことも結構ありますが、懐古園を訪ねたのは今回が初めてです。

懐古神社

懐古神社などの説明が下にありました。

懐古園、懐古雇神社の説明

下の石垣の上に天守閣があったようです。

天守台

小諸の古城といえば、島崎藤村の有名な詩が記憶にあります。「小諸なる古城のほとり 雲白く遊子悲しむ・・・」ですね。下の説明やネット情報をまとめると、この詩が最初に発表されたのは、「旅情」というタイトルで「明星」という雑誌の創刊号だった、ということです。懐古園の北西の角にもこの詩碑があるようですが、私はそこまで行きませんでした。この詩には、その後、弘田龍太郎という作曲家によりこれを歌詞として曲が作られたそうです。ともかく、島崎藤村は、英語と国語の教師として小諸に赴任しており、この詩が生まれたということもあって、ここ懐古園には藤村記念館が設立されたのでしょう。

島崎藤村と小諸

さらに、島崎藤村と言えば思い出すのが、下の石碑にある「椰子の実」という詩です。これは詩というよりは、音楽の授業(中学?)で歌として習ったものです。確か、柳田國男の伊良湖岬での経験(海辺に南方より椰子の実が流れ着いた)を聞いた藤村が詩を作った、と覚えています。

「椰子の実」詩碑

今、念のためネットで確認してみると、大学生だった柳田國男が静養のために渥美半島の伊良湖岬に一か月ほど滞在しているときに、海岸(恋路ヶ浜と言われています)を散歩中に南の海から流れ着いた椰子の実を見つけたらしい。どうも2つあったらしく、1つは壊れていたが、1つは完全な姿だったようです。その話を東京に帰った時に、当時近所に住んでいた島崎藤村に話したら、「君、その話を僕に呉れ給へ」ということになったらしい。ともかく、あの詩の内容は柳田國男や島崎藤村が経験したことではなく、フィクションということのようです。
藤村記念館のそばには、樹齢500年と言われる大きな欅(ケヤキ)の木がありました。

大けやき

懐古園を後にし、まだ時間があったので駐車場近くの大手門に行きました。JRで分断されていますが、ここも小諸城の一角であることがわかります。なお、この大手門と懐古園の三の門が国の重要文化財に指定されています。

大手門

このあとは、かりん道路沿いにあるベーカリーココラデ 御代田店でパンを買って、そこで浅間山を見ながら食べ、その後、道の駅 ヘルシーテラス佐久南で買い物をして帰途に就きました。