高齢者講習 ― 2026年03月26日 21:03
今年は70歳、自動車免許の更新に高齢者講習というのが必要になります。
高齢者のペダル踏み間違いなどによる事故を毎日のように見ていると、自分もいつ免許を返上すべきか、というのを考えざるを得ません。最近は確かに、縁石に当てる、後方確認不足によるヒヤリ、などの兆候が出てきています。日常生活に必要ですし、車がなくなると益々行動範囲が小さくなり、ボケが進むような気がしますので、もう少し乗り続けたいとは思っています。それには、基本的なことをおろそかにしないように意識して運転したいと思います。来週、高齢者講習を受講する予定なので、終わったらこのブログでご報告したいと思います。
リタイア以降、コロナの予防接種とか、親知らずの抜歯以外ではあまりお医者さんのお世話にはなっていなかったのですが、昨年の秋から、ちょっと気になる体の不調で病院に行くことがあります。11月初旬、ときどき目まいとざわざわした感じの症状とが出ることがありました。ほんの数秒から10秒程度なのですが、そのとき脈も少し早くなる症状でした。ひっくり返るようなことはなかったのですが、少し吐き気も出てきたので、行きつけの病院に行きました。問診と血液検査をしましたが、人間ドックでもわかっていた貧血気味ということ以外にはよくわからず、吐き気を抑えるための胃酸抑制剤を処方されただけで、よくある「様子を見ましょう」となりました。確かに、薬を飲んだら吐き気は治まりましたし、目まいも徐々に起こらなくなり、年末の掃除もつつがなく終わりました。
ところが、今年2月の下旬、軽い立ち眩みの症状が出始めたかな、と思っている矢先、夕方に窓のシャッターを閉めようと立ち上がって歩いた時に、目の前が真っ暗になり、体の力が抜けて転倒(尻もち)してしまいました。幸いにも怪我はなく、そばにあった小さな電気ストーブ(OFF状態)が倒れてちょっとゆがんだ程度で済みましたが、こんなことは初めてなので自分でもびっくりしました。その後は、立ち眩みというよりも、座ったままでも、また、寝た状態でも頭がざわざわする感覚が数秒起こり、そのタイミングで立ち上がると足腰の力が入らない症状は出ますが、真っ暗になったり、ひっくり返ったりはなくなりました。ざわざわ感が出たときに身構えることができるのです。ただ、脳の病変ではないことを確認するために、念のため脳神経外科(内科)に行って、MRI検査をしてもらいました。やはり所見はなく、「様子を見ましょう」対応でした。そして、この症状も3週間くらいで出なくなったので、せいぜい、ストレス起因の立ち眩み、といったことなのかも知れません。
昨日からの雨は、今日の午後に上がったので、近くをウォーキングしました。まだ、ソメイヨシノは満開ではありませんが、とある小さな公園にピンク色のツツジが咲き始めていました。まずは、写真をアップだけしておきます。
若き日の山20 早春の鳳凰三山 ― 2026年03月14日 22:06
金峰山から下山後、タクシーで御座石鉱泉まで行きました。同じメンバー4人です。体の不調は、かなりよくなっていました。鳳凰三山の登山基地にもなっていますが、温泉でもあるので一般客と言うかお年寄りも宿泊されています。お風呂に入り、質素だが十分な夕食も摂り、明日に備えて眠りに就きました。朝食後、出発しましたが、足元には踏まれた雪があったと思います。標高1,000mちょっとの御座石鉱泉から、2,400m弱の鳳凰小屋までのコースタイムは、夏山で5~6時間です。記憶では、天気は下り坂で途中から雪が降ってきたと思います。天気が悪くて撮影しなかったのか、登るのに精一杯で撮る気にならなかったのか、その日の写真は一枚もありません。ともかく、大きな問題もなく、鳳凰小屋に到着しました。なお、鳳凰三山とは、地蔵岳、観音岳、薬師岳を指しますが、国土地理院の地図には、それぞれ地蔵ヶ岳、観音ヶ岳、薬師ヶ岳と表記されています。
翌朝は快晴です。鳳凰三山の1峰目、地蔵岳の稜線まで約300mを登ります。アイゼンがよく効いてスムーズに登れた記憶がありますが、あてになりません。「子授け地蔵」が多く置かれている稜線(賽の河原の上部)に出て、まず目に飛び込んできたのが甲斐駒ヶ岳です。いい形の山です。その奥には、北アルプスの山並みもきれいに見えます。快晴の冬の朝の醍醐味です。フィルムはエクタクロームです。
子授け信仰は、約200年以上前からあるとされているそうで、この山から地蔵1体を持ち帰ると子どもを授かり、お礼に2体(持ち帰った1体に新たな1体を加えて)を返すと子どもが健康に育つということらしいです。
地蔵岳のオベリスクに登る技術はないので、対峙してよく見える赤抜沢ノ頭に登ります。青天にそびえ立つオベリスクは、この山が神が存在する信仰の山だということに強い説得力を与えます。左側の遠景は八ヶ岳です。
地蔵岳のアップ写真です。
振り返った南西の方向には、白峰三山が眼前に迫ってきます。大樺沢はたっぷりの雪で埋まり、北岳のバットレス(胸壁という日本語が当てられています。建築用語では控え壁のことのようです)も雪が張り付いています。
デジタルカメラではないので、フイルムを節約しながら撮影したのか、残っている写真は多くありません。下の写真は、赤抜沢ノ頭から観音岳への途中で撮影した白峰三山ですが、北岳と間ノ岳の二山しか頂上は写っていません。シュカブラと呼ばれる、強い風によって形成される雪紋を手前に配置して撮影したのですが、まだまだ撮影技術が未熟でした。白旗史朗の写真集を見ているだけでは技術は上がりません。今回の写真は、正解かどうかは別にして、露出だけは意図したようになりました。
このあと、夜叉神峠まで縦走して、たぶんその日のうちに登山口に下りたのではないかと思います。鳳凰小屋から夜叉神峠登山口までの夏山標準コースタイムは8時間くらいなので可能だとは思うのですが、そんなことをしてもその日のうちに家に帰れるわけでもないのになんでなんだろう。これもはっきりしませんが、おそらく芦安温泉のどこかの宿に泊まり、次の日に甲府まで出て、帰ったのだと思います。なお、家(下宿)は名古屋でしたが、甲府からは身延線経由で静岡まで行って、新幹線に乗るのが合理的なような気がしますが、全く記憶がありません。
若き日の山19 早春の金峰山 ― 2026年03月07日 22:00
1978年の3月中旬、早春と言えどもまだ冬の様相の山に登ろうと、まずは金峰山に向かいました。メンバーはいつもの相棒を含む4人だったと思います。交通が不便だった時代のこの季節、どうやって登山口まで行ったか覚えがありません。おそらく、韮崎駅から終点増冨ラジウム鉱泉までバスで行き、そこから現地にいたタクシーで瑞牆山荘まで行ったのではないかと思いますが、定かではありません。ひょっとしたら、ラジウム鉱泉から歩いたかもしれません(距離は約13kmのようです)。瑞牆山荘からは、その日は富士見平小屋まで行ったと思います。富士見平へ行く途中、瑞牆山がよく見えるところがあったようで、写真が残っていました。独特の岩峰の頂がよく見えました。フィルムはエクタクロームです。
翌日、金峰山を目指して、大日岩経由で登りました。4か月前に金峰山は登りましたが(若き日の山15)、こちらのコースは初めてです。写真を撮り飽きたのか、疲れて写真どころじゃなかったのか、頂上まで撮影がまったくありません。天気が良かったので、頂上に着いてもまだ南アルプス(北部)がきれいに見えていました。まず、金峰山のシンボルである五丈岩とともに白峰三山の撮影です。4か月前と同様に、偏光フィルターを使用しています。
金峰山は通常は「きんぷさん」と呼んでいます。長野では「きんぽうさん」と呼ぶらしく、また大相撲の力士の金峰山は「きんぼうざん」と言うそうです。
上の写真よりもう少し北側にカメラを振って甲斐駒・仙丈を入れた写真が下になります。
下の写真は、レンズを変えて撮影した白峰三山です。
次の写真は、八ヶ岳連峰です。
眺望を堪能した後、富士見平小屋に戻りました。小屋に戻った後、体の不調をきたし、食欲がなくなり、飲み物ばかり飲んだ記憶があります。次の日、同行者3人は瑞牆山に登ったと思いますが、私は小屋で一人寝ていました。3人が戻ってきた後、その日のうちに下山したように思いますが、翌朝下山だったかもしれません。記憶は曖昧です。なお、下山と言っても、この後、南アルプスの鳳凰三山を縦走する予定でしたので、中央本線のどこかの駅だったと思います。また、4人での山行だったので、学生と言えどもタクシーに乗るのはそれほど怖くはありませんでした。いずれにしても、ゆっくり温泉に入って休むことと、次の縦走のアプローチを兼ねて、御座石鉱泉に宿泊しました。今はもう営業をしていないようです。
いちごは野菜? ― 2026年02月18日 22:05
いちごが美味しい季節になりました。この季節になると毎年、近くのこじんまりとしたイチゴハウスで栽培したいちごの直売所で頻繁に買ってきていたのですが、今年は、販売しなくなってしまいました。栽培してくれていたおじいちゃんが、昨年腰を悪くして、継続できなくなったためです。90歳を超える年齢だったので、もう感謝しかありませんでした。店や道の駅に出しているわけではなく、ハウスのそばの小さい直売棚でのみ販売されていました。時期や大きさにもよりますが、1パック250円~400円でもぎたてのいちごを販売してくれていました(1日4~15パック程度、お金入れが置いてあるセルフ方式)。もいでくれる8時半くらいになると、お金(2パック分)とビニール袋をもって、自転車で買いに行っていました。旬には週に2回行くときもありました。これまで美味しいいちごをありがとうございました。というわけで、今年は、まだスーパーなどで買った(高い)ものを2、3回しか食していません。味も昨年までのものには及びません。
さて、そのいちごですが、先日、テレビのワイドショーだったと思いますが、「いちごは果物か野菜か」という問題が生産農家の方から出題されていました。問題にするくらいなので、普通に考える方、すなわち果物は間違いという予感通り、その答えは「野菜」でした。理由は「果物は木になるもの、草になるものが野菜、いちごは草の分類になるので答えは野菜」ということでした。つまり、木本性植物になるものは果物、草本性植物になるものは野菜、という定義のようです。ふーんで終われないのが、理系の性(さが)です。美味しいのだから、どちらでもいい、という方はここから先は読まない方がいいかもしれません。
その問題が出されたとき、私が思ったのは、いちごはバラ科である、バラ科の果物にはりんご、梨、桃など代表的なものが多いので、いちごも果物である、ということでした。バラ科の果物には、それ以外にさくらんぼ、プルーン、あんず、梅、びわなどがあります。
こうなると、調べたくなります。
まず、農林水産省の果物に関連する定義または説明を調べてみましたが、果物の明確な定義はなく、「果樹」の説明がありました。
「概ね2年以上栽培する草本植物及び木本植物であって、果実を食用とするものを「果樹」として取り扱っています。従って、一般的にはくだものとは呼ばれていないと思われる栗や梅などを果樹としている一方で、くだものと呼ばれることのあるメロンやイチゴ、スイカ(いずれも一年生草本植物)などは野菜として取り扱っています。」
出典 https://www.maff.go.jp/j/seisan/ryutu/fruits/teigi.html
この段階で、ん~?と思ったことが2つあります。1つ目は梅はくだものと呼ばれていない、とされていることで、上に書いたように私は果物だと思っていました。確かに、生で食べることはあまりありませんので、くだものと呼ばないのかもしれません。生の青梅はおなかを壊すとされていますが、黄色くなって十分熟した梅を私は食べたことがあり、甘酸っぱくておいしかった記憶があります。もう一つは、いちごが一年生草本植物に分類されていることです。いちご(苺)をWikipediaで見てみると「イチゴはバラ科の多年草。」と書いてあります。念のため、他のサイトを見ても、多年草に分類されています。農林水産省はなぜ一年生草本と言ったのでしょうか。
いちごは、花が咲き、実がなる頃、匍匐茎(ほふくけい=ランナー)が出てくるとのことです。実(種)でも増えていくのでしょうが、元の株は枯れずに、さらにこのランナーが根を張ってそこに子供の芽が出るようです。庭の芝生もランナーで広がっていきますが、それと同じようなものなのでしょう。なので、いちごは、1年では枯れずにランナーによってどんどん株を広げ、いちごの実を毎年つけることができるらしいのです。これが多年草と言われる所以だと思われます。しかし、商品になるおいしいいちごを実らせるには、自然のままではなく、適切な時期に、ランナーを切り取り、子供の株(=苗)として植え替える(子供の株をポットなどで育て、時期が来たらいちご畑に植え付ける)ことが大切なようです。このとき、すでに実をつける時期が終了した親の株は、抜いて処分することになります。すなわち、いちご農家にとっては、いちごは一年生草本と言えるのでしょう。
スーパーではいちごは果物のコーナーに置かれています。消費者の視点ではいちごはやはり果物なのです。ちなみに、総務省の統計局がいろいろな市場の統計を公表していますが、たとえば、「家計調査」のデータもあり、その中に「1世帯当たり品目別年間支出金額及び購入数量」というのがあり、いちごは分類として「生鮮野菜」ではなく、「果物」の中に入っています。メロンやすいかも「果物」の中にありました。
出典 https://www.stat.go.jp/data/kakei/5.html
物や事柄を分類するとき、その境界線上にどちらとも言えるもの(言えないもの)や紛らわしいものがあり、立場や視点を決めて分類せざるを得ないことはよくあることでしょう。そして、時代あるいは科学技術の進歩によって、その分類が変わることもしばしば起こることです。
南アルプスから見る富士山 ― 2026年02月07日 21:50
富士山はどこから見ても、また誰が見てもそれとわかる山だと思います。ここでは、富士山に比較的近い南アルプスに登った時に撮影した富士山の写真を中心にアップしたいと思います。写真はいずれもリバーサルで撮影したものをデジカメ-マクロレンズでデジタル化しています。「35㎜スライドのデジタル化」(2025/6)の記事をご参照ください。
撮影した順、すなわち登ったのが早い順に紹介いたします。まず、「若き日の山3」で書きました1977年のGWに登った南アルプス南部の茶臼岳からの富士山です。
高い空に薄い雲が出ていましたが、逆にそれが優しい富士山の風景になったと思います。
次は、「若き日の山4 塩見岳」の山行で前小河内岳あたりから撮影した富士山です。
雲海の向こうに富士山があった、という程度の写真なのに、なんとなく写真になったと思わせるのが富士山の魅力です。
次は、北岳付近からの富士山です。「若き日の山5 北岳・間ノ岳」での撮影です。幾重にもなる山並みの向こうに富士山がそびえています。
空に雲がなければ、とも思うのですが、各山並みの谷側にモヤがかかり、山の端(やまのは)の方が比較的明瞭になるグラデーションがうまい具合に掛かっているためには、この気象条件が必要だったのでしょう。なお、富士山の左手前に見える山並みは櫛形山のなだらかな稜線ですが、これを「クジラの背のような」と表現したのは、私の記憶では、写真になりにくい南アルプスの山岳写真のパイオニアとも言える白旗史朗さんだったと思います。
次の写真は、悪沢岳からの富士山であり、「若き日の山12 荒川三山・赤石岳」での撮影です。
秋の天気のいい日でした。富士山から南の方角に雲がたなびいています。
次は、南アルプスではありませんが、金峰山から撮影した富士山です。「若き日の山15 初冬の金峰山 」での撮影です。
輝く雲海と、富士山頂上付近の雪の輝き、くらいしか説明が思い浮かびません。
次の写真は、塩見岳頂上から撮影した富士山です。これはまだブログに載せていない山行での撮影です。1979年の初秋の頃だと思います。
この写真も幾重にもなる山並みがきれいです。一番手前は塩見岳から東南の方向に延びる蝙蝠岳の稜線です。
次の写真は、北岳肩の小屋からの夜明けの富士山です。北岳の山肌にも光が当たり、富士山との間には、まさに雲の海が白く広がっています。
1984年7月に草すべりコースから肩の小屋に入り、北岳と間ノ岳に登りました。1日目は小雨が降っていましたが、翌日には晴れてくれました。
最後の写真は、「若き日の山13(その2) 赤石岳」でも載せた千枚岳の少し下からの富士山です。
以上、やはりどこから見ても富士山です。
ミラノ・コルティナオリンピック ― 2026年02月05日 17:42
イタリア在住の友人のブログに、「オリンピックの開会式でまだ1万席分が空席、チケットを1席分の値段で2席分を特売」が新聞のトップ記事だったと記載されていました。
開会式のスタジアムは、サッカーで有名なジュゼッペ・メアッツァ(ACミラン関係者およびそのサポーターはサンシーロと呼んでいるはず)なので、8万人ほど収容できると思われます。実質半額での販売ですが、友人はスーパーの閉店間際惣菜半額特売に例えていました。すでに買った人から苦情がでないのでしょうか?
昔、子供のころ甲子園に阪神巨人戦を親と見に行ったことがあり、その時いわゆるダフ屋から通常より高いチケットを買った記憶がありますが、試合開始時間が近づくにつれ、値が下がっていたと思います。試合が始まったら、正規価格より安く売っていたんではないかと想像しますが、まあ、これはダフ屋だからありなんだと思います。
あと、2002の日韓サッカーのとき、3試合のチケットを事前に買ったのですが、チケット完売、と言いながらも実際に当日はメイン側のいいところに空席が目立っていたのを憶えています。招待チケットをもらったけど観戦に行かなかった偉い人がいたのかな、とひねくれた見方をしたものです。また、日本の大阪万博もそうでしたが、開会になってもまだ工事が完了していない事態は、このオリンピックでもあるようです。
ともかく、私はスポーツ観戦自体は好きなので、日本人の活躍を楽しみにしています。
オリンピックの期間中に、日本では衆議院選挙がありますが、報道(ワイドショー)を見る限り、自民というか高市早苗(首相)が何故か人気が高く、どうも楽に過半数を超える勢いとのことです。私にはこの現象が信じられません。
今回は写真のない、とりとめのない記事になってしまいましたが、次回からまた写真をアップしたいと思います。
ダーウィンが来た! イスカ ― 2026年01月19日 22:13
1月18日のNHKの番組「ダーウィンが来た!」に嘴に特徴のある野鳥のイスカが取り上げられていました。つい先日、このブログにもたまたまイスカを記事にしていたので、もう一度、嘴の写真を見直して、アップしたいと思います。
番組では、
1)栄養豊富な松の実を主な餌とし、閉じた松かさをこじ開けて食べることができるように嘴が交差している
2)松の実が豊富な冬季に子育てをする
ことを中心に、その映像とともに紹介されていました。
嘴が交差しているとは、先の記事でも書きましたが、上下のくちばしが互いに左右にずれているということです。雄雌別に、下に写真を載せますが、鳥から見て上の嘴が右になっているものを「上右」、左になっているものを「上左」と名付けました。レンズは、いわゆる大砲ではなく、300ミリに1.4倍のテレコンバーターを付けて手持ちで撮っているので、解像度はそんなに良くはありませんが、ご了承ください。
まずは、雄の「上左」です。
そして、雄の「上右」です。
次に雌の「上左」
そして雌の「上右」
過去に撮ったイスカの写真をざっと眺めてみましたが、左右どちらが多い、ということはなさそうであり、また、雌雄でも差がないように思います。
最後の写真には、幼鳥も写っていますが若干「上右」の兆候が出ているように見えます。
生まれてしばらくは交差していないらしく、必要になる頃(2週間程度?)には交差が始まるとのことです。この幼鳥を撮影したのは2月なので、確かに冬に子育てをしています。
幼鳥の写真は何枚かあるので、もうちょっと幼鳥の嘴の交差を調べてみようと思います。
小春日和と昆虫 ― 2026年01月16日 23:00
今日は暖かい一日でした。冬の暖かい日なので、小春日和と呼びたいですが、本来、「小春日和」は晩秋から初冬、すなわち、11月からせいぜい12月の初旬までの春のような暖かい日を指すということです。春らしく、黄砂まで飛んできました。
昨日と同様の服装でウォーキングに出かけましたが、やはり少し汗ばんで、上着の前のファスナーを開けて歩くことになりました。そんな中、このところ見かけなかった蝶やバッタに遇うことができました。
まずは、ウラギンシジミです。翅の裏が銀色のシジミ蝶です。結構、活発に飛翔していました。道路わきの草に止まったのでスマホで撮影しようとしたところで飛ばれてしまいました。翅の表(翅を開いた時に見える方)に白っぽい紋があるので、メスのようです。ウラギンシジミは成虫で越冬します。冬は通常は葉の裏に止まってじっとしているらしいですが、やはり非常に暖かかったので、飛び出したのだと思います。なお、蝶は1頭、2頭、と数える習慣があります。家畜としてのうさぎを1羽、2羽と数えるように、その由来には理由があるようなので、興味のある方は調べてみてください。
次に見たのはクビキリギスというバッタです。道路の端でじっとしていたので、スマホで簡単に撮影できました。
クビキリギスも成虫で越冬し、普段は冬眠していますが、暖かいと春と勘違いして出てくるようです。夕暮れまでに安全なところに戻ってまた冬眠してくれるといいのですが。
今日、最後に見たのはキタテハという蝶です。これも成虫で越冬します。やはり、暖かいので元気に飛び回っていました。
明日も暖かい予報です。連日の暖かさに、もっと昆虫が出現するかもしれません。虫が嫌いでない方は、ウォーキング中などに畑や原っぱ、道路脇を見てみて下さい。
若き日の山18 冬の聖岳 ― 2026年01月14日 21:34
冬の北岳山行の翌年、すなわち1980年の正月山行は同じく南アルプスの聖岳です。同行者はいつもの相棒です。入山口は、大井川の畑薙大吊橋です。若き日の山3で登った上河内岳の時と同じ入山ルートです。年末年始なので、大井川鉄道の臨時列車や畑薙第一ダムまでの臨時バスもあったと思います。例によって、記憶が薄れ、記録もなく、いつ、とこで、の情報がかなり欠落していますが、ご了承ください。
朝、畑薙第一ダムに着いたのは間違いないです。1泊目がどこだったか、まあ、あまり重要な事項ではないので推測で書けば、横窪沢小屋だと思います。調子が良ければ、茶臼小屋まで行っていたと思います。上河内岳までは以前行っているので様子はわかりますが、雪の質・量と気温が大きく異なります。ただ、トレールはあるのでそんなに苦労した記憶はありません。そして、2日目か3日目かはわかりませんが、聖平に到着し、幕営しました。
ここまでの写真がありません。今のデジカメとは違い、フィルム代も現像代もかかりますので、撮影を控えたのか、歩くのに一生懸命で撮影まで気が回らなかったのか、もう撮影に飽きたのか、あるいは残っているもの以外廃棄してしまったのか、理由はわかりません。ともかく、最初に撮影したのが、聖平からピストンで聖岳に登るときの小聖岳の少し手前から撮影した聖岳の写真(下)のようです。
雪は多くはなく、夏道が出ているところもありました。でも雪があるところ、氷結しているところもあるのでアイゼンは装着したままです。とにかく、風が強かったのを覚えています。アイゼンの引っ掛けによる転倒だけには注意してゆっくり登り、頂上に到着しました。頂上付近は強風により形作られたシュカブラという雪の風紋が見られます。下の写真は、そのシュカブラを撮影したものですが、遠景に中央アルプスや御嶽山と思われる山も望めます。右の中景は、中盛丸山、大沢岳の稜線です。
そして、赤石山脈とも呼ばれる南アルプスの主峰赤石岳が北にそびえています。赤石岳の左手奥は仙丈ケ岳ですね。素晴らしい天気です。
下の写真は、南の方角、上河内岳から茶臼岳の稜線です。
そして、頂上付近での記念写真です。顔がわからないと思うのでアップしました。風が強く、寒かったです。
帰路は、聖平から西沢渡、易老渡に下りて、国道152号線のバス停まで歩いたと思います。今でこそ、易老渡と西沢渡の中間の便ヶ島というところまでタクシーが入れるようですが、当時は易老渡から北又渡、さらに遠山川沿いに152号線の本谷口というバス停まで歩いた記憶があります(バスで国鉄飯田線平岡駅まで行った)。食料はほぼなくなったとはいえ、冬山装備一式とテント・外張りを含めて下山時も結構重いザックを背負っていました。確か足の裏の皮がべろんとむけていたと思います。
なお、本格的な冬山登山はこれが最後でした。
若き日の山17 冬の北岳 ― 2026年01月12日 17:22
翌年の冬、すなわち大学4年の冬に行ったところは北岳です。日程はちょっと記憶にありませんし、写真にも日付の記録がないのではっきりとはしませんが、「普通に」12月の末に入山し、正月を稜線で迎えたと思います。塩見岳と同様に相棒と2人です。
積雪期の北岳の登山口は、今もそうだと思いますが野呂川の右岸にある県道37号線(南アルプス公園線)のあるき沢橋になります。そこから池山吊尾根経由で八本歯コルから登ります。あるき沢橋までどのように行ったか、これも記憶が曖昧ですが、合理的なのは奈良田までバスで行って、そこからタクシーで行けるところまで行く(当時は奈良田にタクシー会社があったような)、ということになると思います。
あるき沢橋には午前には着いたと思います。そこから池山吊尾根のルートを辿ります。その日は、池山御池小屋ではなく、その少し先の林の中でテントを張ったような記憶がありますが、定かではありません。翌朝、近くを歩く人の物音で目を覚まし、それから行動開始したような記憶があります。樹林帯を抜けたあたりでアイゼンを付けたと思います。そして、ボーコン沢の頭あたりで前が開け、北岳とその岩場(バットレス)が目に飛び込んできます(下の写真)。バットレスとは日本語では胸壁と言うそうです(建築用語では控え壁という意味があるようです)。
この時は、カメラに白黒フィルムを入れていました。コダックのプラスXだと思います。もう少し前に出て、レンズを変えての撮影が下の写真です。
ボーコン沢の頭付近の風がしのげる窪地にテントを張りました。雪のブロックを切り出して積み上げ、風防にしました。距離的にも、写真の光線の加減からも午前中にはこのボーコン沢の頭に着いていると思いますが、天気のいいこの日のうちに北岳にピストンしたのか、この日はここまでとして次の日に登頂したのか全く覚えがありません。ともかく、八本歯コルも無難に通過して北岳山頂に立ったと思います。北岳の山頂付近から撮影した間ノ岳や南の山々の写真が下になります。右手奥に1年前に登った塩見岳が見えます。
光線からは明らかに午後だとわかります。この山行ではあまり写真を撮らなかったのか、デジタル化する前に捨ててしまったのか、ともかく写真がこの3枚と、稜線で相棒と撮った記念写真(プリント)、そして相棒からもらった登山前のあるき沢橋での記念写真(スライド)1枚のみしか残っていませんでした。
下山もあまり覚えがなく、おぼろげな記憶では、あるき沢橋に戻ったのが夕方だったような気がするので、林道(県道)脇でテントを張ったのではないかな。そして翌朝、奈良田まで歩いて、バスで国鉄の駅(たぶん身延)へ出たと思います。ともかく、目標は達成できた山行でした。
































