若き日の山18 冬の聖岳 ― 2026年01月14日 21:34
冬の北岳山行の翌年、すなわち1980年の正月山行は同じく南アルプスの聖岳です。同行者はいつもの相棒です。入山口は、大井川の畑薙大吊橋です。若き日の山3で登った上河内岳の時と同じ入山ルートです。年末年始なので、大井川鉄道の臨時列車や畑薙第一ダムまでの臨時バスもあったと思います。例によって、記憶が薄れ、記録もなく、いつ、とこで、の情報がかなり欠落していますが、ご了承ください。
朝、畑薙第一ダムに着いたのは間違いないです。1泊目がどこだったか、まあ、あまり重要な事項ではないので推測で書けば、横窪沢小屋だと思います。調子が良ければ、茶臼小屋まで行っていたと思います。上河内岳までは以前行っているので様子はわかりますが、雪の質・量と気温が大きく異なります。ただ、トレールはあるのでそんなに苦労した記憶はありません。そして、2日目か3日目かはわかりませんが、聖平に到着し、幕営しました。
ここまでの写真がありません。今のデジカメとは違い、フィルム代も現像代もかかりますので、撮影を控えたのか、歩くのに一生懸命で撮影まで気が回らなかったのか、もう撮影に飽きたのか、あるいは残っているもの以外廃棄してしまったのか、理由はわかりません。ともかく、最初に撮影したのが、聖平からピストンで聖岳に登るときの小聖岳の少し手前から撮影した聖岳の写真(下)のようです。
雪は多くはなく、夏道が出ているところもありました。でも雪があるところ、氷結しているところもあるのでアイゼンは装着したままです。とにかく、風が強かったのを覚えています。アイゼンの引っ掛けによる転倒だけには注意してゆっくり登り、頂上に到着しました。頂上付近は強風により形作られたシュカブラという雪の風紋が見られます。下の写真は、そのシュカブラを撮影したものですが、遠景に中央アルプスや御嶽山と思われる山も望めます。右の中景は、中盛丸山、大沢岳の稜線です。
そして、赤石山脈とも呼ばれる南アルプスの主峰赤石岳が北にそびえています。赤石岳の左手奥は仙丈ケ岳ですね。素晴らしい天気です。
下の写真は、南の方角、上河内岳から茶臼岳の稜線です。
そして、頂上付近での記念写真です。顔がわからないと思うのでアップしました。風が強く、寒かったです。
帰路は、聖平から西沢渡、易老渡に下りて、国道152号線のバス停まで歩いたと思います。今でこそ、易老渡と西沢渡の中間の便ヶ島というところまでタクシーが入れるようですが、当時は易老渡から北又渡、さらに遠山川沿いに152号線の本谷口というバス停まで歩いた記憶があります(バスで国鉄飯田線平岡駅まで行った)。食料はほぼなくなったとはいえ、冬山装備一式とテント・外張りを含めて下山時も結構重いザックを背負っていました。確か足の裏の皮がべろんとむけていたと思います。
なお、本格的な冬山登山はこれが最後でした。
若き日の山17 冬の北岳 ― 2026年01月12日 17:22
翌年の冬、すなわち大学4年の冬に行ったところは北岳です。日程はちょっと記憶にありませんし、写真にも日付の記録がないのではっきりとはしませんが、「普通に」12月の末に入山し、正月を稜線で迎えたと思います。塩見岳と同様に相棒と2人です。
積雪期の北岳の登山口は、今もそうだと思いますが野呂川の右岸にある県道37号線(南アルプス公園線)のあるき沢橋になります。そこから池山吊尾根経由で八本歯コルから登ります。あるき沢橋までどのように行ったか、これも記憶が曖昧ですが、合理的なのは奈良田までバスで行って、そこからタクシーで行けるところまで行く(当時は奈良田にタクシー会社があったような)、ということになると思います。
あるき沢橋には午前には着いたと思います。そこから池山吊尾根のルートを辿ります。その日は、池山御池小屋ではなく、その少し先の林の中でテントを張ったような記憶がありますが、定かではありません。翌朝、近くを歩く人の物音で目を覚まし、それから行動開始したような記憶があります。樹林帯を抜けたあたりでアイゼンを付けたと思います。そして、ボーコン沢の頭あたりで前が開け、北岳とその岩場(バットレス)が目に飛び込んできます(下の写真)。バットレスとは日本語では胸壁と言うそうです(建築用語では控え壁という意味があるようです)。
この時は、カメラに白黒フィルムを入れていました。コダックのプラスXだと思います。もう少し前に出て、レンズを変えての撮影が下の写真です。
ボーコン沢の頭付近の風がしのげる窪地にテントを張りました。雪のブロックを切り出して積み上げ、風防にしました。距離的にも、写真の光線の加減からも午前中にはこのボーコン沢の頭に着いていると思いますが、天気のいいこの日のうちに北岳にピストンしたのか、この日はここまでとして次の日に登頂したのか全く覚えがありません。ともかく、八本歯コルも無難に通過して北岳山頂に立ったと思います。北岳の山頂付近から撮影した間ノ岳や南の山々の写真が下になります。右手奥に1年前に登った塩見岳が見えます。
光線からは明らかに午後だとわかります。この山行ではあまり写真を撮らなかったのか、デジタル化する前に捨ててしまったのか、ともかく写真がこの3枚と、稜線で相棒と撮った記念写真(プリント)、そして相棒からもらった登山前のあるき沢橋での記念写真(スライド)1枚のみしか残っていませんでした。
下山もあまり覚えがなく、おぼろげな記憶では、あるき沢橋に戻ったのが夕方だったような気がするので、林道(県道)脇でテントを張ったのではないかな。そして翌朝、奈良田まで歩いて、バスで国鉄の駅(たぶん身延)へ出たと思います。ともかく、目標は達成できた山行でした。
若き日の山16 冬の塩見岳 ― 2026年01月01日 00:12
大学3年の時、6月に塩見岳に登りました(若き日の山4)。そして最初の冬山登山に選んだのもこの塩見岳です。同じ年の年末に長野県の塩川土場から登り始めます。正月登山です。ちなみに、同級のいつもの相棒との2人での山行です。このときの天気はちょっと記憶にないですが、どちらかというと悪かったような気がします。下から雪はありましたが、南アルプスなのでそんな量でもないし、シーズンなので先行者がいるし、歩くのには全く問題はなかったと思います。ただ、冬山装備で荷物は重かった。何時に登り始めて何時に着いたのかも覚えていませんが、ともかく三伏峠に到着し、適当なところにテントを張りました。夜、みぞれが降っていた記憶がありますが、あてになりません。
次の日は、山頂を目指さず、付近を散策したと思います。まず、いつもの三伏沢の方に降りて塩見岳を撮影します。雲は多いですが、山には太陽が当たり、輝いていました。フィルムはエクタクロームだと思います。
少し場所を変えて撮影。
峠の方に戻っての撮影。手前の山は三伏山でしょうか。頂上付近に登山者が2名います。
こちらはいつどこから撮ったか覚えがありません。蝙蝠岳かな?
以下は造形の写真。
最後の写真は、一定方向からの風によって霧氷が木々等に成長し、まるで海老の尻尾のような形状になるもので、冬山ではよく見かけます。
塩見岳への登頂は翌年1月2日だったと思いますが、なぜか頂上での山の写真がありません。頂上にいたときは天気が良かったと思います。記憶では、天気が下り坂とのことで、三伏峠まで下りた後、テントを撤収して塩川の営業している小屋まで下山したと思いますが、ちょっと自信がありません。
と、書いていたら年が明けました。今年はいい年でありますように。
おいらくの山2 浅間山 ― 2025年12月19日 18:30
オオマシコ(その3)で浅間山の写真を掲示しましたが、浅間山、正確には火山活動のため山頂入山禁止の浅間山が間近に見える外輪山に登ったのは、昨年の9月です。今年の夏は、腰痛と坐骨神経痛のため、まともに山歩きはできませんでした。
登山と言っても、最短コースの登山口まで車で行って登るので、「若き日の山」や「中年の山」で書いている行程と比べると極めて平易なコースです。年なので仕方ありません。また、昨年の夏も猛暑でウォーキングをサボっていたので、足腰が弱り切っていました。
朝早く家を出て、登山口となる車坂峠(群馬県嬬恋村 標高は1973m)に9時半頃に到着しました。無料の駐車場に停めて、身支度をして下の写真の登山口から登り始めます。睡眠不足と長時間運転の疲労のまま登るので、昔は感じなかった不安を感じながら上に向かいます。
最初はまあまあ順調でしたが、なかなかペースが上がらず、妻に置いて行かれ、喘ぎながら登ります。下の写真は、1時間ちょっと登って、トーミの頭の手前のところです。
トーミの頭(標高は2300mくらい)には、標準コースタイムを少しオーバーして到着です。残念ながら雲が湧いて浅間山は完全には見えません。この後、晴れてくれるといいのですが。蛇骨岳を一応の目的地にしています。
これから行く蛇骨岳の先の外輪山です。中央少し左の三角形のピークは仙人岳、右の方のピークは鋸岳だと思います。
トーミの頭から30分弱で黒斑山(くろふやま 2404m)に到着しましたが、展望がイマイチなのと、人が多かったので通過しました。だらだらと樹林帯を歩き、ときどき晴れ切らない浅間山方面の視界が開ける道を歩いて、ようやく蛇骨岳(2366m)に到着しました。目の前に浅間山が迫ってきます。少し雲が上がりましたが、まだすっきりとはいきません。
振り返ると、浅間山と外輪山の間の湯の平と呼ばれるところを隔てて剣ヶ峰が見えます。右手が黒斑山の斜面です。
さらに雲が切れそうな雰囲気があったので、仙人岳の方向に少し足を進めます。すると、完全ではありませんが、かなり浅間山の頂上部分も見えてきました。これが本日の限界でした。右のピークが前掛山(2524m)で、ここまでは立ち入りできるようです。中央付近の突起が浅間山頂上(2568m)だと思います。左の上部斜面に小さな突起がありますが、これが千トン岩と呼ばれるものでしょうか。
もう少し仙人岳方向に歩きましたが、また雲が下がってきました。下の写真の左のピーク仙人岳にはまだもう少し距離があります。お昼を過ぎておなかも空いてきたので、ここで昼食にしました。そして、足腰は下りの方が心配だったので、下山することに。
少し歩くと、雲が上がったので、最後の浅間山を撮影し、下山を急ぎます。
行きには撮影しなかった黒斑山で記念写真を撮りましたが、もう浅間山は見えなくなっていました。
このあと、急な下りでは足がつるのを我慢しながら、登山口に着いたのは午後3時くらいになっていました。その日は北佐久IC付近のホテルに1泊し、翌日は小諸城址懐古園を訪れました(なんと、9時前に入場すると無料でした)。
おいらくの山1 富士山1900m付近 ― 2025年12月03日 21:30
富士山の山頂は、大学の時(5月の末頃だった)に踏んだのみで、それ以来登っていませんが、宝永山を含めて中腹程度までならときどき歩いています。1昨年の11月後半にすでに冠雪した富士山を撮影しようと、表富士を歩きました。昔は「表日本」「裏日本」と言う言葉がありましたが、今では使われなくなりました。「表富士」はどうなんでしょうか?
須山御胎内入口から登り、幕岩、三辻󠄀と歩き、小天狗塚に到着しました。ここが最初の目的地です。
南の方角に道標があります。奥に伊豆半島と駿河湾が見えています。北に目をやると、富士山と宝永山が少し重なって間近に見えます。この辺りの標高は約1900mで、富士山頂のちょうど半分くらいです。ここまで来ると富士山はだいぶ扁平に見えます。宝永山は、その南側の崖をこちらに向け、富士山にも宝永火口上部の崖があるのがわかります。また、この辺りはカラマツが自生しています。なお、山頂付近は風が強く、雲の様子がどんどん変わります。最初は頂上が見えなかったのですが、寒風に耐えて待っているとここまで見えるようになりました。
参考までに5月(昨年の5月中旬)の同じところから撮影した写真を載せます。雲は全くありません。残雪とカラマツの新芽が季節感を表しています。
引き返して、次の目的地に向かいます。双子山(二ツ塚)と呼ばれるところです。三辻󠄀を過ぎて四辻󠄀まで来ました。宝永山と富士山の位置関係が変わります。頂上付近の雲も取れています。
双子山の下塚まで来ました。ここからは、双子山の上塚、宝永山そして富士山のそれぞれ山容の異なる3つが重なって、絶妙な配置になります。手前の丸い形の上塚(標高1929m)、その上に崖の見える宝永山(2693m)、そして雪に覆われた富士山(3776m)。上塚には紅葉を過ぎた草が、身を寄せ合うように、小さな円状に集まって生えているのがわかります。これらの草地は、火山性の礫ばかりの富士山においても、季節によって緑、黄、赤と彩を添えてくれます。
少し待つと、やはり雲が取れてきます。宝永山と富士山の境界が少しわかりにくいですね。
北東方向に目をやると、山中湖が見えます。
撮影した場所、下塚(1804m)も入れて撮影すると下のような感じです。また雲が湧いています。火山性砂礫の道は、登ると足元から崩れるので、倍以上の労力を要します。上塚や宝永山も別の日に登りましたが、同じように登り辛いです。
幕岩方面に下り始めると、また山頂が見えてきました。このあたりは、ルートとなっているらしく、上空をよく飛行機が飛びます。
登山口まで下りて、車を運転して帰途に着きましたが、途中、足がつって往生しました。情けないです。
若き日の山15 初冬の金峰山 ― 2025年11月23日 21:31
1977年の今頃、メインルートではなく、その名前に惹かれて水晶峠を経由して、金峰山に登りました。相棒と2人です。たぶん甲府駅から黒平(くろべら)というところ(登山口)までタクシーで行きましたが、タクシーの運転手も道がよくわからず、地元の人に聞きながらなんとか到着しました。ただ、迷っている間もメーターが回っていたので、ぼったくられた感じが残っています。
ともかく、誰とも会わない道を歩き、水晶峠を越えて、当時はまだ使用可能だった御室小屋で1泊しました。明け方、かなり冷え込んで、食料の大根が凍っていたのを覚えています。
冷え込みが強いだけあり、空はすっきり晴れ渡っています。何時ころか忘れましたが、金峰山頂上(標高2595m)に着いたときも雲一つないいい天気です。上部に雪をまとった南アルプスをこの距離でこれほどきれいに見たことはありません。最初の写真は、偏光フィルター無しで撮影したものです。フィルムはエクタクロームだったと思います。
偏光フィルターを装着して撮影すると、さらにコントラストが付いてすっきりと写ります。太陽の方向が、フィルターの効果が一番出る角度だったようです。左に白根三山、中央に仙丈・甲斐駒、そして右の奥には中央アルプスの山並みも明瞭に見えます。甲府盆地には少しもやがかかっているので、麓から見上げても南アルプスは霞がかかって見えると思います。
目を少し北に向け、手前に瑞牆山、遠景左に八ヶ岳、右には遠く北アルプスの山々も認識できます(爺ヶ岳や鹿島槍ヶ岳など後立山連峰)。
富士山は下のような感じです。上には雲はありませんが、下にはありました。
この後は、たぶん富士見平の方に下山したと思います。なかなか気持ちの良い山行でした。
若き日の山14 奥又白池から前穂高岳 ― 2025年11月20日 22:45
確か1979年だったと思いますが、10月に相棒と2人で奥又白池に行き、翌日、A沢から前穂高岳に登りました。前穂北尾根の岩壁が目の前に迫る、一般登山道ではないコースですが、素晴らしい景観でした。
上高地徳沢から新村橋を渡り、奥又白沢の登山道を登ります。涸沢へ向かうパノラマコースを右に見て中畠新道へ進みます。道とわかる結構急な坂を登って奥又白池に着きました。登山メモを取っていなかったので所要時間は覚えていませんが、休憩も入れて分岐点から2時間くらいかと思います。他に登山者はいませんでした。池畔にテントを張った頃には確かみぞれが降ってきた記憶があります。おかげで、翌朝少し新雪をまとったすばらしい北尾根を見ることができました。もちろん、足元にも多少の雪が付いています。
下の写真は、奥又白池畔からの前穂高岳から北尾根4峰あたりまでの写真です。私のカメラにはモノクロフィルムが入っていたと思うので、相棒が撮影したものと思われます。
モノクロ写真がこちらです。前穂から北尾根6峰までが写っています。
下の写真、中央やや右ピークが前穂高岳だと思います。その右に北尾根2峰、3峰があります。
前穂北尾根4峰です。正面壁がロッククライミングのルートで有名なようです。
前穂北尾根5峰と奥又白池です。池の写っている写真はこれしか残っていませんでした。
目を東に移すと、日の出と遠くに八ヶ岳が見えました(実際の撮影時刻は、上の北尾根の写真よりも前だと思います)。
このあと、少し雪の付いた踏跡を登り、A沢に出てスリルを味わいながら稜線にたどり着きました。そこから、前穂高岳頂上まで登り、西穂高岳方面を撮影したのが下の写真です。
下の写真は涸沢岳方面で、左下のコルに穂高岳山荘が見えます。
そして北の方に目を向けると、北穂高岳の右奥に槍ヶ岳が少し顔を出していました。
この後、岳沢を下り、上高地に戻りました。
ともかく、天候には恵まれたと言える山行となりました。
中年の山2(つづき) 上高地 ― 2025年10月14日 11:52
焼岳に登った翌日、紅葉真っ只中の日曜日の上高地に無謀にも行ってしまいました。朝、宿を出た後、当時はまだ安房トンネルができていなかったので、昔ながらの国道158号線の安房峠を越えて中の湯へ下りていきます。上高地へはマイカーは行けないので、沢渡の駐車場に止めてそこからバスで行くことになります。中の湯から沢渡に来る道路は特に中の湯方向が混んでいたので嫌な予感がしていました。駐車場に駐車したらすでにバスが来ていたので列に並びましたが、まさに乗る直前で満員になり、次のバスに乗ることになってしまいました。運にも見放されます。バスダイヤはもはやないようなものでしたが、いつまでたってもバスが来ません。ようやく来て乗り込みましたが、渋滞で思うように進まず、上高地に到着したのは午後1時を回っていたと思います。
写真を見ると、まず大正池あたりから歩いたようです。河童橋に比べて人はまばらです。まず、大正池に立つ枯れ木とともに穂高連峰の撮影です。秋晴れの澄んだ空気です。観光地になるに相応しい景観です(フジクロームベルビア使用)。
下は南の方向になる昨日登った焼岳の写真です。逆光気味なのと、娘を入れた記念写真だったので景色は露出オーバーの写真でした。娘はデジタル化後、AIとやらで処理して消したので、そのあたり(真ん中より右側)の池面が若干不自然になっています。
どこのポイントからか覚えがありませんが、梓川(またはその支流)と六百山から霞沢岳への稜線の写真です。六百山は穂高のいい展望台だろうな、と思いながら、難コースと言うこともあって、結局登っていません。
梓川の右岸に立ち並ぶホテルとその背景の紅葉、そして西穂高岳の一部が見えている写真です。
人の少なそうなところを歩いて、景色を堪能するまでは良かったのですが、夕方になってバスターミナルに戻ってみると現実に引き戻されました。すでに長い長い列ができています。とても並ぶ気にならなかったので、腹ごしらえをして時間をつぶそうと思ったのが悪い選択で、戻っても長い列は何も変わりません、バスに並ぶか、列は少ないが1回に掃ける人数も少ないタクシーに並ぶか、ここも迷いました。結局、夜8時くらいにバスに乗れて、沢渡にもどり、そこから運転して、日を跨いでの帰宅となりました。当時はまだ若かったので体力的には問題はなかったようです。
ともかく、いい景色に恵まれた登山と観光の大きな代償を払った、自分の汚点として残る旅行でした。
中年の山2 焼岳 ― 2025年10月12日 22:12
先週の土曜日(10/4)、NHKのブラタモリは上高地の誕生についての放送でした。その主役である焼岳には、32年前の秋に家族3人で登りました。娘が小学校2年の時です。新穂高側の登山口からの登山です。
中尾峠に登った後、笠ヶ岳方面を撮影したのが下の写真です。雄大です。地層もよくわかります。この笠ヶ岳には次の年に家族で登ることになります。なお、このとき用いたフィルムは、すでに販売が開始されていたフジクロームベルビア(ISO50)です。
下の写真は、もう少し登ってから北の方向を撮影したものです。近景には展望台となっているピークの向こう側に青い屋根の焼岳小屋が見えます。遠景は、西穂から奥穂の稜線と、その左側に槍ヶ岳が望めます。
娘はもうしっかりとした足取りで登っていきます。そして、焼岳の頂上(前年に北峰への入山が解禁された)に到着しました。頂上からの撮影が下の写真です。奥穂から前穂の吊り尾根と岳沢がすっきりと見えます。
南側の乗鞍岳方面を望む写真です。いろんな山肌があり、その変化が面白いです。
下の2枚の写真はカラーネガ(富士フイルムのリアラ)で撮影したプリントをデジタル化したものです。1枚目が中尾峠付近からの六百山から霞沢岳の稜線です。2枚目は頂上付近から撮影した上高地方面の写真です。焼岳の噴火が元々あった渓谷(梓川の谷)を埋めたということが理解できますね。
この日は下山し、奥飛騨温泉あたりに宿泊したと思います。次の日、観光客で混んでいる上高地に足を踏み入れることになります。
若き日の山13(その2) 赤石岳 ― 2025年10月05日 11:32
赤石小屋は結構混んでいましたが、千枚小屋は空いていました。他に1パーティが居ただけだったと思います。夜明け前、早めに食事を済ませ、千枚岳を目指して霜柱の立つ登山道を登り返しましたが、頂上に着く前に日の出になりました。下の写真は富士山の少し左側からの日の出です。
千枚岳からの赤石岳・小赤石岳東面のモルゲンロートです。雲一つなく、天候に恵まれました。悪沢岳あるいは千枚岳からの赤石稜線および東面の風景の切り取りは、学生時代に白旗史朗の写真を見て感銘を受けました。機材やカメラ技術が違っても、その場所に行けばそれなりに撮れるような気になってしまいます。
大聖寺平も含めてアップして切り取った画角の写真です。
赤石岳・小赤石岳およびその東面のみ切り取った画角の撮影です。もう少し早い時間に撮影できれば言うことなしですが、ちょっと根性が足りませんでした。
千枚岳からの下りで、少し日が高くなってからの撮影です。紅葉・黄葉がきれいでした。
このあと、椹島までの長い長い下りをバスに間に合うように歩きました。椹島に着く前に、足を痛めたのでしょうか、ちょっと片足を引きずって歩く若い方を見かけました。結局、その方を静岡駅まで送ることになり、畑薙第一ダムのバス停で降りた後、駐車場に止めておいた車で山岳道路を下り、静岡駅に寄ってから帰宅しました。天気も良く、写真も撮れたので満足いく秋の山行でした。






























































