中年の山1 五竜岳2025年05月10日 22:39

5月4日の記事の写真には五竜岳がありましたが、その名前の由来は明確ではないようです。説としてですが、その山に現れる雪形の4つの菱を武田信玄の旗印である武田菱と関連付けて、この山のことを御菱岳と呼んだ、それが訛って五竜岳になった、と。この説は深田久弥の名著「日本百名山」にも書かれていますが、別の説として、後立山を「ごりゅうざん」と呼んでいて、これが五竜岳に通じたのだろう、ということも書かれています。三霊山のひとつである立山を昔は「りゅうざん」とも呼んでおり、いわゆる後立山も「ごりゅうざん」と呼んでいたらしい。但し、この後立山の最高峰を意味していた「ごりゅうざん」は、のちに鹿島槍ヶ岳を指すことが確定したとのことです。ともかく、名前には何らかの理由があるはずですが、それを示す信憑性のある記録がない限り、推察・推測をはたらかせるしかありません。

五竜岳

大学のときには「見た」だけだった五竜岳に私が実際に登ったのは、それから20年以上経った1999年です。娘を含めて家族での登山でした。上の写真はカラープリントをデジカメでデジタル化したものです。このとき使ったのはリバーサルフィルムではなくネガフィルムで、たぶん以前書いた「リアラ」だったと思います。
八方尾根から登りましたが、日ごろの行いが悪かったらしく唐松山荘の手前で雨になりました。山荘で少し休んだら雨も小降りになったので、娘には申し訳なかったが、予定通り五竜山荘まで歩きました。翌日はいい天気になり、結果として日ごろの行いがよかったようです。朝食後、五竜山頂に登り、遠見尾根を下る途中で撮影したのが上の写真だと思います。
今後、大学時代や20代に登ったものを「若き日の山」、そのあとが「中年の山」、そして還暦以降に登ったものを「おいらくの山」として書いていきたいと思います。