オオムラサキとひまわり ― 2025年08月02日 14:20
先週、山梨に出かけました。ここ数年、この季節には国蝶であるオオムラサキを見に出かけます。時期的に少し遅かったので、だいぶ羽がすれていましたが、5~6頭が木に止まったり、羽音を立てて飛び回ったりしていました。ここは、偶然見つけた大きなクヌギの木で、毎年、樹液が多く流れ、オオムラサキ以外にカナブン、カブトムシ、スズメバチなどが集まります。今年は、暑かったせいか特に樹液が多いようです。スズメバチも邪魔をしなければおとなしく樹液を吸っています。虫や蝶が苦手な人は、姿や羽音はもちろん、樹液の匂いも気持ち悪いかもしれません。
ここは、小径沿いに野鳥も多く、巣立って少し経ったくらいのサンコウチョウやサンショウクイも見ることができました。
そのあと、ついでに有名なひまわり畑に寄って帰りました。平日の暑い中でしたので、見物人は多くはありませんでした。他のひまわり畑では、観光客のマナーが悪く、住民の迷惑になるとのことで、刈り取られ、フェスが中止となったところがあったとニュースで言っていました。
ここは、民家はほとんどないので、中止になることはないと思いますが、ひまわり畑以外の農地、私有地への立ち入りはやめましょう。
思っていたよりは1つの区画が狭いし、花もそんなに大きくはなかったですが、写真の撮り方でいろいろ表現はできると思いました。オオムラサキ用には300mmの望遠レンズしか持ってこなかったので、こちらはスマホでの撮影です。
西側には南アルプスの山々(甲斐駒ヶ岳~鳳凰三山)が眺められ、朝の方が写真になると思われます。
家に戻ると、その日の最高気温は37℃だったようです。山梨も甲府など市街部は暑いですが、少し標高の高いところへ行くと風は心地よかったです。
若き日の山8 穂高岳 ― 2025年08月07日 17:47
若き日の山6で甲斐駒・仙丈に行った2週間後、それなりに登山を始めてから初めて北アルプスに行きました。これまで比較的人気(ひとけ)のない南アルプス中心でしたが、人気(にんき)のある北アルプスにもやはり行っておくべき、という食わず嫌いはいけないみたいな考えからです。夏の人気と言えば、穂高です。涸沢にテントを張ってその周辺を歩きました。記憶が怪しいのですが、出だし、上高地から入って小梨平にテントを張ったら雨に降られて、翌日、横尾で濡れたものを乾かしてから涸沢に入ったと思います。涸沢に着いた後は、まず前穂北尾根の屏風のコルまで行き付近を散策したと思います。天気はいまいちだった記憶です。食料が1週間分くらいあったはずなので、ゆっくりできます。
翌日、北穂高岳に登りました、たぶん。下の写真はその途中か頂上あたりで撮影した前穂高岳と北尾根です。右に奥穂高岳があります。涸沢カールの残雪はお盆近くだとこんな感じでした。なお、フィルムはネガフィルムでコダカラーです。プリントの縁に東洋現像所のロゴマークとプリントした年(西暦下2桁)が確認できます。ロゴマークはたぶん極東研究所とよばれていたところの頭文字(FEL)なのでしょう。なお、東洋現像所は今はイマジカとなっていると思います。
色がかなり褪せています。45年も経つので仕方ありません。ネガは定年直前の引っ越しですべて廃棄してしまいました。一部のプリントのみ残しました。リバーサルではなく、ネガを使った理由は、・・・単にそういう気分だった???
下の写真は北穂から大キレット越しの槍ヶ岳です。槍ヶ岳に登ったのは、会社に入ってからとなります。
翌日(または次に天気が良くなった日)、奥穂高岳と前穂高岳に行きました。下の写真は、奥穂山頂付近からの笠ヶ岳です。谷を隔てて山全体がきれいに見えます。この笠ヶ岳には、娘が9歳くらいのときに登ることになります。
次の写真は、奥穂からのジャンダルムです。ジャンダルムとは、当時は主峰の前に立ちはだかる「前衛峰」と理解していましたが、今検索してみると、由来はフランス語の「憲兵」を意味するgendarme、と出てきます。憲兵は守ってくれるのではなく、邪魔をするのでしょうか。このジャンダルムを通るルートは難コースとなっています。この難コースルート(奥穂ー西穂縦走)は、次の年の秋に行くことになります。
下の写真は、奥穂から前穂に向かう吊り尾根の途中で撮影した前穂高岳と明神岳主稜です。さすがに、明神岳には行っていません。ただ、その稜線の向こう側にある奥又白池から前穂高岳に登る一般向け難ルートには、翌々年に行っています。
この後、涸沢に戻り、翌日はせっかくなので上高地には戻らずに、常念岳を越えて帰りました。次回、これを書きたいと思います。
若き日の山9 一ノ俣谷から常念岳 ― 2025年08月08日 12:24
相棒と2人で涸沢から下りてきて、横尾でテントを張ったかそのまま常念に向かったかは忘れました。横尾から約1時間北に歩くと一ノ俣沢に出会います。当時は、一般的な登山コース(登山地図で赤い線で描かれていた)ではありませんが、黒い細い線で描かれた常念乗越に出る登山道がありました。道もそれなりについており、印もありました。ただ、単なる丸太1本の濡れた橋だったり、架けられていたはずの橋や梯子が壊れていたり、難コースであることには変わりはありません。涸沢への登山開始時には30~35kgくらいあった背負子は、食料がかなり減ったとはいえ、それなりの重さがあり、それをかついで谷を行くのは少し難儀でした。いくつもの滝が出現するのですが、登ることに専念していたのか、印象がなく、また、写真を一枚も撮らなかったようです。途中からは、普通の谷コースになったと記憶しています。
常念乗越には常念小屋があり、テントサイトもありましたので、幕営しました。翌朝、日の出前に常念岳に向かいましたが、頂上に着く前に日の出が始まりました。写真を撮った順序は忘れましたが、日の出後の東の空を撮影したのが下の写真です。ここでは、エクタクロームを使っていたようです。
西側は、槍ヶ岳から穂高岳への稜線に日が当たり始めます。残念ながら、頂上部は雲がとれませんでしたので、槍の穂先は写っていません。先日、北穂から見下ろした大キレットは明確にわかります。なお、下の写真には写っていませんが、確かブロッケンが現れたと思います。
下の写真は、常念岳付近から見下ろした常念小屋とテントサイト、そして大天井岳へと続く稜線です
景色を堪能したのち、テントに戻り、東側の一の沢経由で長い山旅の帰途につきました。
犬山城 ― 2025年08月13日 22:45
安土城址に行く1ヶ月前に犬山を訪れました。モンキーセンターと犬山城が目的地です。モンキーセンターはいずれどこかで書くことがあるかもしれませんが、ここでは犬山城について振り返ります。犬山城は最古の天守を有する国宝として知られています。そのためか、インバウンド人気があり、結構混んでいるという情報がありました。
訪れた時間は午後の3時を過ぎていましたので、それほど混んではいませんでした。下の写真は、入口の門です(もともと本丸門のあったところと思われます)。
門をくぐるともう本丸なので、すぐ目の前に天守があります。廃藩置県のときに、天守以外の建造物はかなり取り壊されたとのことです。それゆえ、櫓などはほとんど残っていません。残念なことです。
天守は派手さはありませんが、特徴ある表情をしています。また、正面右側に付櫓とよばれる天守に付設した防御のための櫓があります。正面から見ると少し右側に向いています。なお、犬山城にはもう一つ裏側にも付櫓があります。
中に入ると、最古の残存する天守という割には新しっぽく見えます。説明を見ると、明治24年の濃尾大地震で半壊したため、修復されたとのことです。そういう意味では、全体としてうまく(古く)修復されています。中には、城の骨組みが展示されていました(下の写真)。
天守閣の模型も展示され、大きさが記載されています。
別のコースから下りた後、車で城の周りを走りました。下の写真は、木曽川に架かるライン大橋(下にダムがある)の歩道から撮影しました。大きな川は建築のための資材運びにも便利ですし、防御としても万全ですね。
国宝のお城は、これで彦根城、松本城、姫路城、犬山城に「登城」しました。残るは松江城ですが、ちょっと遠くてもう行けそうにありません。
小牧山城跡 ― 2025年08月15日 18:08
犬山からの帰りに、小牧山城跡に寄ってみました。小牧ICのすぐそばなので、車で行った場合は便利なところにあります。地図で見ると小牧ICのすぐ南側に小高い森があるのですぐわかります。2時間まで無料の駐車場もあり、また、城跡(歴史館)へ行くまでの散策路もいい運動になります。
また、少し前、将棋の王位戦(藤井七冠 対 永瀬九段)の第一局が小牧であり、7/4に両名が小牧山城を訪れたとのニュースがありました。藤井七冠が、「濃尾平野が一望できるすばらしい景色で、戦において要所だということが理解できました。」と話したとのことですが、実際、歴史館(ここは有料)の展望台に登ってみると、美濃、尾張が一望でき、当時の周囲の城や街の様子が手に取るようにわかったと思われます。「美濃を制する者は天下を制す」という言葉が残されているように、このあたりが戦国時代の重要な地であったことは確かです。信長がこの小牧山に城を築いたことは、なるほどと思わずにはいられませんでした。
歴史館の中は、「撮影禁止」となっていたので、いろいろな資料は撮影していません。外観のみですが、写真を添付します。
若き日の山10 槍ヶ岳 ― 2025年08月22日 17:38
槍ヶ岳に登ったのは、先に書いた穂高岳山行の4年後で、社会人になった年の夏です。職場の人たち、20代の私から40代半ばの方までの6人のメンバーでした。確か、翌日の午前0時からマイカー規制で上高地に入れなくなるので、金曜日の仕事終了後すぐに出発した記憶があります。何とか間に合い、釜トンネルを越えて上高地の駐車場に日が変わる頃に到着しました。車、あるいは待合室みたいなところで仮眠して、翌朝、出発です。どうなるかわかりませんでしたが、一応、その日の目的地として槍ヶ岳山荘を目指します。小屋泊なので荷物は軽いです。最初は観光客とともに歩き、徳沢、横尾、一ノ俣とどんどん人が少なくなっていきます。だんだん勾配もきつくなり、登山道らしくなってきました。
下の写真は、槍沢の上部、槍ヶ岳が間近に見え始めた雪渓からの撮影です。まだ7月なので雪も多く残っています。このときは、モノクロフィルムをカメラに入れていたようです。たぶん、コダックのPLUS-X125だと思います。
プリントの多くを廃棄したため、残っていたのは撮影したものの一部です。
槍沢を詰めて槍ヶ岳山荘に到着したのが午後4時より前だったと記憶しています。受付を済ませた後、頂上(槍の穂先)に登りました。
下の写真はその頂上で、偶然に現れたブロッケンです。東の空にガスが湧き、夕日の差した頂上と人を映し出しています。この写真はカラープリントであり、おそらく同行者が撮影したのをいただいたものと思います。
槍ヶ岳山荘に泊まり、翌日は東鎌尾根、ヒュッテ大槍経由で上高地に下ったと思います。下の写真は、その尾根上のどこかで撮影した槍ヶ岳から北鎌尾根の稜線です。
北鎌尾根と言えば、著名な登山家が冬に遭難したことで有名です。松濤明および加藤文太郎です。松濤明については、「風雪のビバーク」というタイトルの本が出ていました。北鎌尾根で登山パートナーとともに遭難し、その最後の手記が心を打ちます。また、加藤文太郎は単独行者として有名でした。彼については新田次郎の小説「孤高の人」で描かれてます。加藤文太郎という人間をモチーフに小説化したものなので、北鎌尾根の遭難の記述については事実と異なることもあるようです。その最後の状況の描写には松濤明の手記が参考にされているとのことです。なお、加藤文太郎自身は「単独行」という著書を残しています。
この北鎌尾根、大学の時、友人と一度行こうとして、七倉から高瀬川沿いに上り、湯俣山荘、さらに水俣川から千天出合付近まで入りました。「幸いにも」台風が近づいてきたので、ここで断念して引き返しました。無雪期とはいえ、技量的に無謀だったと思います。
かかし ― 2025年08月28日 14:46
田んぼでは稲が実ってきていますが、米の価格が下がらず、新米もかなり高そうです。そういう状況でも田んぼでは、かかしで賑わっています。昔(子供のころ)は、人の姿をした、かさや帽子を被った藁人形しか見なかったのですが、今は多種多様です。かかしは「案山子」と書くそうですが、これには鳥獣による食害を防ぐ以上の意味が込められているように思います。
最近のかかしは、鳥、どちらかというとスズメのような小さな鳥を追い払うのが目的と思われます。まず、大きな目玉を表したようなものや太陽光が反射してきらきら光るものが一般的になっているようです。(かかしと呼んでいいかどうかわかりません)
猛禽類をイメージしてカイトのように風でなびくもの、カラスの模型などもありますが、下のように何の鳥かよくわからないものもあります。ぱっと見、カモメの一種のようにも見えますが、鷲の一種なのかもしれません(白頭尾白鷲?)。
こんな風船のおじさんもいました。効果のほどはどうなのでしょうか。
富士山の野鳥 コマドリ ― 2025年08月29日 22:10
野鳥の中で、私はコマドリが一番好きなのだと思います。重い足で山を散策中にそのさえずりを聞いた時、あるいは実際にその姿を見たとき、うれしさが一気に込み上げます。野鳥撮影を始めて最初に見たのはもう15年以上前、富士山の少し奥まったところです。標高は1500~1600mくらいでしょうか。少し離れているところからもさえずりが聞こえました。三大鳴鳥(ウグイス、オオルリ、コマドリ)と言われるだけあってよく響き渡ります。その鳴き声の方向に静かに近づいてみると1羽動くのがわかりました。カメラで覗くと、子育てをしているらしく、嘴に虫をいっぱい挟んでいます。虫の苦手な方は下の写真をクリックしないで下さいね。
当時のカメラは初心者向けデジタル一眼、レンズは70-300の安いズームレンズであり、テレコンをつけたのでマニュアルフォーカスとなり、当然手持ち撮影なので、きれいには撮れていません。何枚か撮影する中、移動しないので巣は近いのでしょう。そっとその場を離れました。お邪魔してすみません。
その後、富士山の同じ標高くらいのところ何ヶ所かでコマドリを見ることができました。カメラはキャノンだったのですが、まずレンズを単焦点の300mmに変えました。歩き回っての手持ち撮影なので、重いレンズは無理でした。F4の明るさになったので、1.4倍のテレコンをつけてもオートフォーカスが可能でした。(ただ、いつも合焦してくれるとは限りません)
次に、カメラ本体を変えました(7D)。背景が悪くても、ともかく出てきてくれれば撮影です。
登山道を歩いていた時に左の谷からさえずりが聞こえてきたので、そちらにシカ道を踏み分け、しばらく待つといいところに出てきてくれます。今は、マダニが怖くてなかなか踏み分けられません。
下の写真は、車道を歩いていた時、すぐそばで鳴き声が聞こえたので様子を見ると、目の前に出てきてくれました。背景も光線も条件が良くありませんが、つぶらな瞳が見えると、うれしくなります。この個体、すごく太っています。写真のコマドリはすべて雄です。
上記以外の場所でも撮影できましたが、笹枯れが進んでからは、あまり目にしなくなりました。




























