若き日の山10 槍ヶ岳 ― 2025年08月22日 17:38
槍ヶ岳に登ったのは、先に書いた穂高岳山行の4年後で、社会人になった年の夏です。職場の人たち、20代の私から40代半ばの方までの6人のメンバーでした。確か、翌日の午前0時からマイカー規制で上高地に入れなくなるので、金曜日の仕事終了後すぐに出発した記憶があります。何とか間に合い、釜トンネルを越えて上高地の駐車場に日が変わる頃に到着しました。車、あるいは待合室みたいなところで仮眠して、翌朝、出発です。どうなるかわかりませんでしたが、一応、その日の目的地として槍ヶ岳山荘を目指します。小屋泊なので荷物は軽いです。最初は観光客とともに歩き、徳沢、横尾、一ノ俣とどんどん人が少なくなっていきます。だんだん勾配もきつくなり、登山道らしくなってきました。
下の写真は、槍沢の上部、槍ヶ岳が間近に見え始めた雪渓からの撮影です。まだ7月なので雪も多く残っています。このときは、モノクロフィルムをカメラに入れていたようです。たぶん、コダックのPLUS-X125だと思います。
プリントの多くを廃棄したため、残っていたのは撮影したものの一部です。
槍沢を詰めて槍ヶ岳山荘に到着したのが午後4時より前だったと記憶しています。受付を済ませた後、頂上(槍の穂先)に登りました。
下の写真はその頂上で、偶然に現れたブロッケンです。東の空にガスが湧き、夕日の差した頂上と人を映し出しています。この写真はカラープリントであり、おそらく同行者が撮影したのをいただいたものと思います。
槍ヶ岳山荘に泊まり、翌日は東鎌尾根、ヒュッテ大槍経由で上高地に下ったと思います。下の写真は、その尾根上のどこかで撮影した槍ヶ岳から北鎌尾根の稜線です。
北鎌尾根と言えば、著名な登山家が冬に遭難したことで有名です。松濤明および加藤文太郎です。松濤明については、「風雪のビバーク」というタイトルの本が出ていました。北鎌尾根で登山パートナーとともに遭難し、その最後の手記が心を打ちます。また、加藤文太郎は単独行者として有名でした。彼については新田次郎の小説「孤高の人」で描かれてます。加藤文太郎という人間をモチーフに小説化したものなので、北鎌尾根の遭難の記述については事実と異なることもあるようです。その最後の状況の描写には松濤明の手記が参考にされているとのことです。なお、加藤文太郎自身は「単独行」という著書を残しています。
この北鎌尾根、大学の時、友人と一度行こうとして、七倉から高瀬川沿いに上り、湯俣山荘、さらに水俣川から千天出合付近まで入りました。「幸いにも」台風が近づいてきたので、ここで断念して引き返しました。無雪期とはいえ、技量的に無謀だったと思います。


